1647話 机に積んだ本のなかから その1

 

 もう20年くらい前のことになるだろう。ラジオ番組に作家の小林信彦が出演したことがある。アナウンサーが、「最近読んでおもしろかった本をご紹介ください」というと、小林は「いやー、最近、目の具合が悪くてなかなか本が読めなくて・・・」と言った。

 「老眼ですか?」

 「老眼なんか、ずっと前からですよ。そうじゃなくて、なんか、見にくいんですよ」

 このときの小林の発言がよく理解できなかったが、今はよくわかる。神経を集中して本を読んでいると、目だけじゃなくて頭全体がすぐに疲れるのだ。そのうちに肩や腰も疲れてきて、読書に集中できなくなる。その上、私には「調べたい病」というのがあって、本を読んで気になることがあると、すぐに調べたくなる。著者略歴やその本で取り上げた事柄を確認したり、地図で確認したり、アマゾンで類書を探したりしてしまうから、読書スピードが落ちる。パソコンなどない時代は、「調べる」といっても通常は辞書程度だが、いまはパソコンに立ち寄ると、そのあと1時間は脱出できないことも少なくない。

 だから、読書量が減り、読書スピードもかなり落ちた。ややこしい本を読んでいると、「もういいよ」という気分になって、読み飛ばす。

 といった話をマクラに、本の話。

 『給食の歴史』(藤原辰史、岩波新書、2018)で、付箋を貼った3箇所の話をする。

著者は第1章で、給食を5つの視点で考察するとのべ、4点挙げた後、「そして第五に、日本の給食史を世界史のなかに位置づけ直しながら考える」と書いている(12ページ)。こういう広い視点で物事を考える姿勢が、私には好ましい。学校給食本はすでに多く出版されているが、「世界史のなかで考える」という姿勢は珍しい。

 私がずっと調べているテーマのひとつに、若者の海外旅行史があるが、日本人の研究者の視点は日本しか見ていないことにがっかりしっぱなしだ。わずかにヒッピーのことに触れる人もいるが、アメリカのカウンターカルチャやビートニクを調べてから書こうという姿勢は見られない。日本史の研究者でもまともな人なら「日本のことだけを考えていれば充分」とはならない。民俗学者は、今も日本枠に入ったままだ。「日本食文化史」といった本を書く場合でも、外国の食文化史をある程度頭に入れておいてから書くと、内容に広がりと深さが加わる。そういう作業をしておかないと、「日本独特」とか「日本だけの特徴で・・」などとつい書いてしまう。

 付箋を貼った2点目。栄養学の父と呼ばれ、世界で初めて栄養学研究機関を作った佐伯矩(さえき・ただす 1876~1959)を紹介したページに、佐伯に対する学者たちの批判を書いている(33ページ)。「食べものを研究する博士であることから、『食物(くいもの)博士』と揶揄されることもあった。『料理に関係するとは博士の面汚しだ』という批判も聞こえた」という。

 食文化研究のパイオニアである石毛直道さんは、「学者って、できるだけ生活から遠いところにある事柄を研究するものだと考えがちで・・・」と語っていた。だから、生活に近い事柄は、「立派な学者」と呼ばれたい研究者はけっして手をつけてはいけないとされていた。若いころの石毛さんも、きっと食文化研究ということで嘲笑を受けただろう。「男は、食い物のことであれこれ言うんじゃない。食い物の研究なんか、女にやらせておけばいい」という武士や軍人の考えが、まだ消えていないように思う。文系の学者なら、天下国家を論じるのが当然という考えは、いまだに根強い。

 『給食の歴史』に貼った3枚目の付箋は、終戦直後の上野地下街の浮浪児の話だ(79ページ)

 「衰弱した子どもが道端の犬の糞を食べて、口から泡を吹いて『ラーメンを食べたい。ラーメンを食べたい』とつぶやき、死んでしまったのを側で目撃した事例も、石井は聞き取っている」

 これは『浮浪児一九四五―』(石井光太、新潮社、2014)からの引用だ。石井が聞き取ったというラーメンの話だが、終戦直後に少年が「ラーメン」と言ったという話に「う~む」なのだ。絶対に間違っているというだけの証拠はないが、あの当時は「ラーメン」という呼び名はまだ一般的ではなく、支那そばかせいぜい中華そばではないか。私の体験でも、いくつもの資料が記述しているように、「ラーメン」という語が広まるのも、1958年発売のインスタントラーメンである「チキンラーメン」以降だ。それ以前に「ラーメン」という呼称がなかったわけではないが、あまり使われていなかったと思う。