地域研究とは、文字通りある地域の研究という意味だと、つい先日まで思っていた。それ以上の意味があるとは思ってもいなかった。ビルマの小説家マウン・ターヤさんと雑談をしていた時に、彼はしばしば“area studies”という語を使ってビルマ研究の話をしたが、それが特別な意味がある語だとは思わなかった。
地域研究という学問は、ある地域(たいていは国家)の全体を知ろうという学問だ。ベトナム戦争時代に、ベトナムのことを何ひとつ知らないことに気がついたアメリカ人が、ベトナムのことを知ろうとしたのがきっかけで生まれたアメリカの学問だというのだが、西洋で植民地支配を有効にするために、その地のことなら何でも知ろうという行為と同じだろう。
日本では、満鉄調査部がやってきたことが地域研究とも言える。つまり、ある狭い専門部門にこだわるのではなく、その地域の自然も歴史も、あらゆる分野を出来る限り広く調べ、そしてそのほかの地域のことも調べて比較する。そういう学問らしい。
『一つの太陽 オールウエイズ』(桜井由躬雄、めこん、2013)を読んで、そういうことを知った。この本は、タイの日本人会会報誌「クルンテープ」に、2010年11月号から2012年11月号まで連載された文章をまとめたもので、著者は最後の原稿が掲載されて間もなく亡くなった。これは自伝であり、交友録であり、著者が関わった学問の歴史でもある。死後、急きょまとめたということでは、タイの伝統である「葬式本」の好例でもある。タイでは、著名人の葬式は死後だいぶたってから行なうので、葬式までにその人物の業績を集めた本や、その人物が好きな作家の文章を集めたような本を製作し、葬式の時に配る習慣がある。それを「葬式本」(ナンスー・チェーク)という。
私は学問の歴史に興味があって、東南アジアを舞台とした学問の歴史では、『道はひらける』(石井米雄、めこん、2003)を興味深く読んだ。『一つの太陽』は、京都大学東南アジア研究センターを中心に描かれる。研究センターの初代所長は石井さんだから、当然石井さんの話も出てくる。数多く登場する研究者のなかで、私よりも年上の人は、ほとんど名前を知っている。著書を読んだことがある人も多く、面識のある人も何人かいる。学者の世界にも京都大学にも無縁の我が人生だが、この研究所の人たちは私の東南アジアの勉強に大きな影響を与えた。
私の認識では、「桜井さんはベトナムの歴史の人」だったので、それほど著作は読んでいないと思ったが、巻末の著作リストを眺めてみれば、割と多く読んでいる。読んだ順序ははっきりとは覚えていないので、出版年順に書き出せば、まずは『インドシナ文明史』(ジョルジュ・セデス著、辛島昇・内田晶子・桜井由躬雄訳、みすず書房、1969)だ。かなり高い本で、私は神保町の古本屋で買った。いま、その本を書棚から取り出してページをめくったら、紙片がはさんであるのに気がついた。「謹呈 辛島昇」。そういう本だったのか。
歴史の本はほかに、桜井さんが共著者になって書いた『東南アジア現代史 Ⅲ ヴェトナム・ラオス・カンボジア』(山川出版社、1977)や『東南アジア世界の形成』(講談社、1985)ほか数冊。そして、めこんから出た『ハノイの憂鬱』(1989)と『緑色の野帖』(1997)などを読んでいる。
これだけ読んで来て、私の興味にもっとも合致しているのは、先日読み終えたばかりの『一つの太陽』だ。学問の歴史のもう一人の証言者として、桜井さんの先輩にあたる高谷好一さんの『地域研究から自分学へ』(京都大学学術出版会、2006)も読みたくなって、注文した。数日で到着し、たった今、読み終えたところだ。
京都大学における地域研究の歩みを読んでいて、ふたつの事を思い浮かべた。ひとつは、地域研究というのは、スーパーマンの学問だということだ。学部の専攻が何であれ、大学院以降はすべての分野が研究対象になる。理系文系も関係ない。外国語も多数学ばなければいけない。ある地域の歴史や自然や民俗などあらゆる分野に関心を持ち、学ぶ。例えば稲作に注目すれな、農業以外でも、稲作に関するありとあらゆる事柄が研究対象になり、近隣地域との比較も必要で、そのあとは、稲作をしていない地域との比較も必要になる。さまざまな分野の専門家たちとの共同研究を行なうのと同時に、研究者個人もあらゆる分野に通じたスーパーマンへの道を歩み出す。
おもしろいと思ったことに、次々と手を出す。どんどん、やる。徹底的に研究する。どんなフィールドにも出る。「私は〇〇が専門ですから、それ以外のことはわかりません」とは言わず、わかるまで学ぶ。こういう学問は、多数派にはなれない。多くの研究者は、小さくまとまって、成果を出したいのだ。時間をかけたフィールドワークよりも、西洋人が書いた論文をいじって理屈をこねているほうが凡人研究者には楽なので、スーパーマン研究者は隅に追いやられる。
このアジア雑語林で以前触れた、ベネディクト・アンダーソンの椀の話(283話)を思い出した。『ヤシガラ椀の外へ』の翻訳者であり共著者でもある加藤剛さんも、やはり京大東南アジア研究センターの人だ。この本で、若き研究者よ、ヤシガラ椀(研究領域のこと)の外に出なさいとそそのかしている。名誉教授クラスの年配の研究者は、「学問は、広く、かつ深く! 当然、楽しく」と唱え、若き研究者は「とにかく、深く、理屈をこねて」と考えているらしい。ちなみに、加藤さんと初めて会ったのも、東南アジア研究センターだった。
『一つの太陽』に登場する数多くの研究者のなかで、私よりも若いと思われる研究者の名前に心当たりがないのは、狭い専門分野に逃げ込んだために、私が読みたくなる本を書いていないかららしいとわかった。