427話 アジア本の欠陥  ―活字中毒患者のアジア旅行 

 今年のベスト1はすでに決まっている。「第三世界の外食産業」を特集した「アジ研ニュース」(1991年1.2月合併号)だ。いずれ「アジアを見る眼」シリーズの1冊として、単行本として発売されるだろう。
 今年のベスト2か、あるいはこちらをベスト1にしてもいいと思うのが、『タイの財閥』(末廣昭・南原真、同文舘出版)だ。タイの研究者向けの本だが、私のような部外者が読んでも充分におもしろい。タイに関する基礎学力はいらない。タイのことを知りたいと思う好奇心があれば、楽しい読書ができる。
 ピアス化商品は、どんな広告で商売をやったかとか、ビールの製造販売史、タイ人が「ウィスキー」だと主張する酒を巡る経済戦争の話など、経済雑学で埋まっている。セントラルデパートの歴史を読むと、拙著『バンコクの好奇心』で書いたタイのデパート史に、間違いがあったとわかる。
 こうした本文の内容とは別に、「はじめに」の文章にドッキリした。ここだけ精読しても、充分に示唆的なのだ。東・東南アジアの企業や財閥に関する本や記事が増えているが、次のような問題点があると主張しているという。要約すると、次のような内容だ。
①今見えている事柄だけを取り上げるだけで、その歴史を軽視している。
②情報源が報告者の限られた現地体験や、非現地語資料に偏っている。
③財閥=華僑という図式のもとで、実態とはかけ離れた公式的な「華僑経済論」がまかり通っている。
 行間が読める人なら、数多く出版されているアジア本の欠陥が、この3点で見事に言い当てていることがわかるはずだ。例えば、こうだ。
 ①は、こうだ。例えば「フィリピンのじゃぱゆきさん」関連本は、ひと山いくらで売れるほど出版されているが、内容はどれもほとんど変わらない。日本・フィリピン関係史など、歴史も踏まえて書いている人はいない。タイの売春問題にしても、今著者に見えていることだけを書くだけで、タイの歴史や社会や、例えば「ベトナム戦争とタイ」といった事柄をきちんと調べている書き手はほとんどいない。パッポンのゴーゴーバーについて書いた日本人はまだいない。タニヤ通りで飲んだくれているジャーナリストは数多いはずだが、誰もこの通りの成り立ちを調べない。今見えている事柄のスケッチでしかない。
 ②は、私自身にも批判の刃が向いている。タイ語文献も読めないくせに、タイの話をあれこれと書いている。そういう欠点が私自身にあることは認めた上で、「しかし」と小声で言う。本屋や研究機関の図書館などで、日本語と英語の資料を探して読むだけでも、私が書く程度の本は書ける。一般書を書くというレベルでいえば、要は、日本語や英語の資料であっても、どれだけ幅広い資料を深く読むかだ。もちろん、タイ語が充分に出来た方がいい。当然だ。いいに決まっている。しかし、タイ語ができる人たちが、大した文章を書いていないのもまた事実なのだ。
 ③は、いろいろ読み変えができる。日本・日本人=悪という公式があり、企業=悪というイメージを持つ人もいるので、日本企業=最悪と決めつける良心的日本人がいる。だから、その裏返しで、日本以外の第三世界の人々は素朴で善人だという公式を信じている人がいる。あるいは、ODA=悪、NGO=善という公式を信じている人もいる。そういう人たちが、「スタディー・ツアー」なるものを企画し、日本から貧乏人観光にはるばる出かけている。                  (1991)
付記:この記事で触れた「第三世界の外食産業」という特集記事は大幅に加筆されて、『「たべものや」と「くらし」 第三世界の外食産業』(岩崎輝行・大岩川嫩編、アジア経済研究所発行)として、単行本化された。一般書店には並ばない本なので、ほとんど知られていないが、見事!絶品。今なら、アマゾンで売りに出ている。2000年に『タニヤの社会学 バンコク駐在員たちの聖域』(日下陽子、めこん)が出たが、やはり「今、現在の見えるもの」しか見ていない。