1729話 食文化本の豊穣 下

 食文化から韓国史を語る『食卓の上の韓国史 おいしいメニューでたどる20世紀食文化史』(周永河、丁田隆訳、慶応義塾大学出版会)が出たのも、2021の12月だった。著者周永河(チェ・ヨンハ)は、韓国の食の人類学や民俗学を専攻する大学教授。食文化関連の著作は多いようだが、日本語への翻訳は残念ながらこの1冊だけ。翻訳者丁田隆(まちだ・たかし)は、韓国の大学の客員教授民俗学)。

 税込み3740円という値段に少々たじろいだ。書店に行っていないから、現物を見ていない。内容の広がりと深さがわからずにネット書店に注文するには勇気がいる。

 「でもなあ」と思う。拙著『東南アジアの日常茶飯』(弘文堂)は1988年に出した本で、定価2880円。消費税導入1年前の出版だから、そのままの価格だが、今なら3168円だ。自分で決めた価格ではないとはいえ、34年も前にそんな価格の本を出しているから、3740円の本を「高い」とはとても言えない。

 それはともかく、この本は買ってよかった。図書館の本だと、こんなにも数多くの付箋を貼ることができなかった。最初に貼った付箋は、冒頭の「日本の読者へ」にある14項目の「食の歴史研究法」だ。わたしも「そうそう」とうなずきながら読んだいくつかを紹介する。

・古い文献記録であっても疑うこと。

・はじめから全国民が食べたかどうか疑うこと。

・他国の食文化と比較すること・

・家庭の食と飲食店を分けて考えること。

・だれが作り、だれが売るかに注目すること。

・いつ食べはじめたかより、いつ流行したかを精査すること。

 上にあげた6項目でさえわきまえていれば、『中国料理の世界史』のような論文はできなかったと気がつくだろう。古い文献にある料理のことが載っているからといって、その時代から全国民が食べていたなどと考えてはいけないということである。飲食店の料理であるパッタイを、家庭でも作られていたかのように書くのは間違いだということでもある。

 朝鮮(韓国)の食文化史の本は、『韓国食生活史』(姜仁姫、玄順恵訳、藤原書店、2000)や『韓国の食文化史』(尹瑞石、ドメス出版、1995)ほか何冊も出ていてすべて読んでいるが、もうひとつピンと来なかった。私の興味は伝統的食生活よりも、ダイナミックに変容する20世紀以降の食文化なのだ。この本には、韓国料理や韓国の食文化に関するさまざまな文献には書いてない事実がいくらでも出てきて、「おお、そうだったか」と驚くことになる。

 例えば、キムチ。今日、日本人でもよく知りよく口にしている白菜のキムチの歴史は第2次大戦後に登場したものだという話は、このアジア雑語林の743話で書いた。この本でも結球白菜の歴史は新しいという話が出てくるのだが、私が驚いたのは、「キムチ」という名称の話だ。京城帝国大学教授の小倉進平が書いた『朝鮮語方言の研究』(岩波書店、1944)によれば、1920年代の朝鮮では、誰もがキムチという名であの漬け物を呼んでいたわけではないことがわかる。もっとも広い地域で使われていたのは「チムチ」で、次が「キムチ」で、以下「チャンジ」「チ」「チムギ」などさまざまな名で呼ばれていたという。「キムチ」は「カクトゥギ」とも呼ぶ地域もあったという。私の想像だが、韓国人の多くが「キムチ」という名で漬け物を呼ぶようになるのは、結球白菜を使った漬け物が「キムチ」の代表になってからかもしれない。

 私が、「これはおもしろい!」と付箋をつけた部分についてあれこれ書きたいが、専門的な話題になってしまうのでやめておく。研究者がこのコラムを目にするかもしれないという期待を込めて、韓国の食文化研究の今後の課題を書いておきたい。

 戦後の食文化は、産業との兼ね合いで考えていかなければならない。養鶏業の発展を考えないと、トリ肉やタマゴ料理の変化がわからない。簡単に言えば、タマゴやトリ肉が安くなったのはいつからかという問題だ。トリ肉だけではなく、コメの生産と自給率など農業と食生活の話だ。

 輸入品と食文化では、砂糖の輸入自由化と韓国料理の甘さの研究。そしてトウガラシの輸入量と韓国料理の色の話。私の想像だが、1960年代か70年代にパプリカ系の甘味トウガラシが大量に輸入されるようになって、韓国料理は急激に赤くなったと思う。そういう仮説を立てているのだが、トウガラシ輸入の資料がないので、何とも言えない。

 もうひとつ、周氏に期待したいのは、台所道具の変遷であったり食べる道具の話などだ。料理とは距離を置いた食文化研究が必要だ。

 この本は、食文化に興味や知識のない人でも気楽に読めるほど簡略ではないが、食文化に関わる人なら充分楽しめる。ほかの本には書いていないことがいくらでも出てくるから、コストパフォーマンスも高い。書店で内容を確認できない人はこれを見るといい。