743話 白菜キムチはまだ新参者

 韓国のKBS(日本のNHKのような公共放送)で、もう200回以上放送している「韓国人の食卓」は、韓国のおもに農村山村漁村離島を訪ねて、その地域の食生活を見る1時間ほどの番組だ。良くも悪くも、学問的というよりは心情的な番組作りだから、ある食材にこめた村人の心情はよく分かる。まだ50代くらいの人が、「ここじゃ、昔は本当に食ええなかったよなあ。米なんか、めったに口にできなかった」などという話を聞くと、韓国の食生活現代史が、統計資料でではなく、思い出として理解できる。しかし、食文化という学問面では、「あやふや」と感じることも少なくない。
 先日の放送は白菜を特集したものだったが、見ていて、「へー、そうだったのか!」と、びっくりする話題が登場した。「白菜キムチを韓国全土で食べるようになるのは、1970年代以降です」というのだから、これはもう驚くでしょ。韓国人が作る番組なら、「古来より我が民族は・・・」という番組にしたいだろうし、実際そういう解説が入ることもあるのだが、今回は「白菜キムチの歴史は新しい」と韓国人みずから説明しているのだから、注目に値する。
 まずは、話をキムチから始めよう。キムチを「漬物」と理解するなら、その歴史は実に古い。野菜の塩漬けにトウガラシが入るのは、朝鮮にトウガラシが伝わってからということになるから、16世紀以降ということになるのだが、瞬く間にトウガラシ入りの漬物が作られていったわけではない。辛さを押さえたパプリカ系統のトウガラシが大量に栽培されて、粉トウガラシに加工して、キムチに利用されるようになるのは、かなりあとになってからのようだ。今日のような、真っ赤なキムチが当たり前になるのは、研究者によってその判断は分かれるようだが、19世紀とか20世紀になってからといわれる。
 朝鮮では、南部の料理は濃い味付けになる。北部に比べて南部では、キムチに大量の塩辛を入れるので、その臭みを取る目的もあって、ニンニク、ショウガ、トウガラシも大量に入れることになり、真っ赤なキムチが生まれる。山村や離島でも、こうしたキムチの材料が手に入るようになるのは、単なる想像だが、「20世紀説」を支持したくなる。それも、「20世紀初め」ではなく、山村離島の貧しさを知ると「20世紀後半」と言いたくなる。
 キムチの歴史の次は、白菜の歴史だ。「韓国人の食卓」では、朝鮮で白菜を栽培し始めたのは植民地時代の日本人だという。よく知られていることだが、日本で白菜が栽培されるようになるのは、日清戦争のとき兵隊が中国からタネを持ち帰ったのがきっかけだという。それ以前にも、白菜栽培の試みはあったようだが、栽培が難しく広まらなかったらしい。
日本で栽培を試みた白菜とは、さてどのような野菜だったのか。日本語の「白菜」と中国語の「白菜」(パクチョイ)は別の野菜だ。
http://foodslink.jp/syokuzaihyakka/syun/vegitable/pakucyoi.htm
 日本人が白菜と呼んでいる野菜は、中国では「大白菜」という。
http://cn.dreamstime.com/%E5%85%8D%E7%89%88%E7%A8%8E%E5%BA%93%E5%AD%98%E5%9B%BE%E7%89%87-%E6%96%B0%E9%B2%9C%E7%9A%84%E5%A4%A7%E7%99%BD%E8%8F%9C-image31942359
 したがって、日本で栽培を始めた「白菜」がどういう姿をしていたのか、私にはわからない。そして、日本人が朝鮮で栽培を始めた「白菜」もまた、どういう野菜かよくわからない。
 「韓国人の食卓」では、朝鮮で日本人が栽培を始めたのは、今日、日本人が白菜と考える野菜だったとしている。しかし、朝鮮では、白菜は広まらなかった。「韓国人の食卓』では、その理由を「味が薄いからだ」と説明した。朝鮮人は、味のない白菜よりも、大根やカブの葉のような、強い味の野菜を好んだという。実は、朝鮮にはすでに白菜は伝わっていたのだが、それは「非結球白菜」だという。パクチョイや青梗菜(ちんげんさい)のようなものを想像したのだが、テレビ画面に登場したのは、カブのような野菜だった。茎を引き抜くと、カブのように肥大した根(正確には胚軸というらしいが)のようなものがある。ただし、球形ではなく、逆三角錐の形だった。大根や、こういう非結球白菜をキムチにしていたのだが、「1960年代に結球白菜の大増産が始まり、1970年代になって韓国全土で白菜のキムチが食べられるようになった」と、ナレーションが流れた。そうか、白菜の、赤い赤いキムチが全国津々浦々まで制覇をしたのは、1970年代以降ということらしい。ということは、秋になって、大量の白菜をキムチにする「キムジャン」の風景も、それほど古いものではなさそうだ。白菜以前は、非結球白菜や大根などがキムチ用野菜の中心だったのだから。
 この番組の「白菜」特集も、きっちりと調べなければいけない項目は多い。「1960年代になって、白菜の大増産が始まった」という理由や事情は、番組ではなにも説明されていない。地域開発運動であるセマウル運動が始まるのは1970年代からだから、セマウルと白菜は関係なさそうだしと、韓国の農業史も勉強しなければいけなくなった。
 ちなみに、朝鮮の白菜事情に関して、次のような資料がある。料理研究家ジョン・キョンファ氏のコラム「白菜」である。
www.krcook.com
 こういう問題があるのだから、『韓国食材大図鑑』の出版が待ち望まれる。