1038話 噴飯本


 読書に疲れて机の本を眺めた。積んである本をそろそろ片づけないと雪崩を起こす危機が迫っている。積んだ本のなかに、やけに付箋が多い本がある。さて、どんな本だったのか。中国系の大学教授(国籍は不明)が書いた食文化の本だ。『箸はすごい』(エドワード・ワン、仙名紀訳、柏書房、2016)は、最近の噴飯本としては別格と言っていいほどのワーストワンだった。噴飯本というのは、カネ返せ本と言ってもいいし、よくもこんな本を出したなという驚愕本だといってもいい。もっと驚くのは、原著はオックスフォード大学出版局から出ていることだ。
 この本がひどい理由は、著者がポンコツだからであり、それが見抜けなかった訳者のせいであり、校正らしき仕事をしなかった編集者の怠慢にある。このコラムで正誤表を書いていくと延々と長くなるので、ほんの少しだけ指摘してみよう。
 13ページの記述。
 「アジアの箸文化圏は五世紀ごろから存在しているが、この地域の食事道具として発明されたのは、箸だけではない。遺跡からは、柄杓のような匙や、ナイフ、フォークも発掘されていて、いずれも調理や食事道具として使われてきた」
 どこの遺跡から出土したのか書いていないが、中国の5世紀の遺跡から食事用の箸、ナイフ、フォークが出てきたら、世界的大発見である。料理用の大きなフォークは古くからあるが、個人が食卓で使うフォークは18世紀ごろのヨーロッパで姿を見せた。山村や離島では20世紀に入ってからだと思われる。だから、5世紀の中国のどこかの遺跡からフォークが出てきたというのは、「おい、おい」なのだ。
さて、そこから6ページあとの19ページにはこうある。
 「漢時代(紀元前206〜紀元220)の遺跡からは、調理・飲食の場面を石に書いた壁画と彫刻が何点か出土している。それを見ると、調理道具としてナイフやフォークが使われていたことがわかる。だが、食事道具ではなかった」。中国の食卓にナイフが登場するのは「西欧の影響がではじめてからになる」としている。つまり、6ページ後には、記述が逆転しているのだ。こういう例が実に多い。訳者や編集者が食文化史に暗くても、読解力だけで「これは変だ」とわかるはずだ。だから、訳者も編集者も仕事をしていないと思うのだ。
 18ページには、こんな屁理屈が書いてある。
 「コメの消費量が増加する状況と歩調を合わせて、中国やアジアではお茶を飲む習慣が広まり、これも箸の普及にひと役買った」
 アジアでは米の広がりに呼応して茶の消費も広がっていったという前提だが、時代が違うだろ。弥生時代の日本では、すでに茶を飲む習慣があったということかい。インドはもっと前から茶を飲んでいたのかい。教授は、茶が普及すると箸も広い地域で使われるようになったと説明する。その理由は、点心など茶請けを食べるようになって、それを食べるために箸が普及したのだという。おいおい。ああ、噴飯だな。
次の記述には、頭を抱える。
 「現在の韓国でも、家庭内など日常的には箸派が増えている」(15ページ)
 「朝鮮半島では祭事の場合は箸と匙を併用するが、身内の食事やふだんの会食では箸だけを使う」(19ページ)
 「韓国人は、米飯には匙を使いたがる。それに、匙はかつて祭事にも使われた歴史がある」(27ページ)
 普段は匙を使わないという韓国人が、いつから「匙を使いたがる」ようになったのか、あるいはいつから家庭では箸だけを使うことが多くなったのか? 詳しい説明をしないから、文章のすべてが信用できなくなる。つまり、記述があまりにおおざっぱで、しかも整合性がないのだ。
 韓国の箸についてはこういう記述もある。「朝鮮半島では金属の箸がいまでも好まれるのは(略)、朝鮮料理ではほかのアジア諸国と比べると肉が多用されていることと関連があるかもしれない」(96ページ)というのだが、朝鮮食文化史のなかで、どれだけの肉を食べてきたかの検証がないし、中国の箸が金属ではない理由も説明がつかない。朝鮮の箸が金属製なのは、金姓が多いからだというすごい説を述べている。
最後に、米の話。この教授もまた、犯しやすい誤りを書いている。米はうるち米であるジャポニカとインディカと、もち米の3種だと説明している。しかし、正しくは、インディカとジャポニカそれぞれに、ウルチ種とモチ種がある。タイ東北部やラオスで食べられているモチ米が、インディカだとは信じられないらしい。
 また、米について、こうある。「ベトナムでは『早米』と呼ばれ、亜熱帯では二毛作・三毛作が可能だ」(146ページ)と書いているが、ベトナムは熱帯にあり、米が年に2回とれるのは二毛作ではなく二期作だ。
 このように、校正者がゲラ(校正原稿)を見たら、裸足で逃げ出したくなるのがこの本だ。