1722話 無理を重ねた『中国料理の世界史』 その5

 カノムチーン

 

 『中国料理の世界史』の277ページに、こういう文章がある。

第2次世界大戦後のバンコクの飲食店は、高級中国料理店とホテルの西洋料理店以外では、「小さな店でクェイティアオやカノムジーンやタイカレーを売っていた」という。「クェイティアオ」を引用以外では、私は「クイティアオ」とカタカナ表記する。コメが原料の麺だが、これについては後ほど書く。ここで問題にしたいのは、「カノムジーン」についてだ。私は、カノムチーンと書く。語源的にはカノム(菓子)チーン(中国)とする説もあるが、モン語説が有力だと思う。日本人の目にはソーメンにしか見えない麺で、原料がコメだからねっとりしていて、食べてみればソーメンとまったく違うことがわかる。

 タイの麺はこの百数十年のうちに、潮州や福建など華南からの移民が持ち込んだものだが、その例外となるのが、このカノムチーンだ。ほかの麺よりも古い時代に、雲南などタイの北から入ってきたらしいといった歴史や製造法に関しては、『文化麺類学ことはじめ』(石毛直道講談社文庫、1995。のちに『麺の文化史』と改題)に詳しい。

 カノムチーンがほかの麺類とはまったく違う存在だということは以前から気がついていたのだが、石毛さんの本でその違いが明確にわかった。歴史やタイに入ってきたルートが違い、発酵過程を経て押し出し麺になるといったことを石毛さんの本で知った。ここでは、石毛さんの本に書いてないことを書いておく。

 カノムチーン屋は、ほかの麺の屋台とは違い、車輪がついた屋台車で商うことは、たぶんないと思う。少なくとも最近までは、なかった。深夜、天秤棒を担いで路上に姿を見せるか、トラックで食材やイスやテーブルを運び、路上で営業する店だ。華南から入った麺やいわゆるタイカレーとは出自が違うので、普通、街の食堂にはなかったから、「小さな店でクイティアオやカノムジーンやタイカレーを売っていた」ということは、たぶんない。カノムチーンは、中国人のビジネスの外にある食べ物だ。カノムチーンは、クイティアオやタイカレーと並列にする料理ではないのだ。ミャンマーのモヒンガーも、同様の麺料理だ。現在ではカノムチーンに、ケーン・キヨワーン(日本での通称が「グリーン・タイカレー」)をかけて食べる例もあるが、歴史的には新しいと思う。

 タイにはいわゆる「手打ちそば」のようなものはない。自宅はもちろん、食堂で麺を自家製することはない。製麺所か問屋から買う。ところが、カノムチーンには自家製がある。自宅で作るというのではなく、村で作るのだ。日本でいえば、餅つき大会のようなもので、祭りの日に村人が集まり、カノムチーンを作って食べる。汁は、魚をまるごとよく煮て、骨を除いて味付ける。汁そばと言うより、和えそばに近い。「ニワトリやブタの骨でスープをとる」という工程がない。炒めるという工程もない。ほかの麺料理と違う歴史があることが料理法からでもわかる。村の若者たちが力を合わせて作る行事なので、年に数回ある出会いの機会でもある。

 カノムチーンは、その食べ方でもほかの麺とは違う。麺は華南から入って来たので、同時に箸も使うようになった。中国系ではないタイ人は、家庭で箸を使うことがなく、農村から都会に出てきて、麺を食べるときに初めて箸を手にする。だから、箸が使えるということは、都会生活に慣れているということだ。

 カノムチーンは都会では、スプーンとフォークか、アルミのチリレンゲで、生の山野草と共に食べる。ゆですぎたソーメンのように柔らかいので、スプーンで簡単に切れる。スプーンとフォークの食事法は、タイの表の食習慣だが、農村や家庭など、他人の目を気にしなくていい場所なら、手で食べることもある。北部や東北部など、もち米を主食にしている地域では手食は当たり前だが、うるち米を主食とする地域でも手食をすることがある。こういう手食の場では、カノムチーンも指でつまんで食べる。この話は、拙著『タイの日常茶飯』に書いた。

 参考までに、インドの農村で麺を料理して、手で食べるというシーンを紹介する。