1934話 思い出の台湾料理 その3

台湾現代食文化(215ページ)

 「台北の老舗茶菓子店」の章に、台湾の新しい味の話が出てくる。それまでの祖母や母の時代を経て、1983年生まれの著者の時代だ。

 著者が生まれた翌年、台湾最初のマクドナルドがオープンした。その数年後に、ピザハットがオープンした。祖母は、チーズとトマトソースの味になじめなかったという。醤油の国の人たちは、乳製品に弱いのだ。牛乳を飲むと腹を下すとか、「臭い」という反応は、日本人も同じだった。タイで売っている牛乳に対して、在住西洋人たちは「砂糖とか、イチゴ味とか変なものをいれないでくれ!」と言っていたが、多くのタイ人は甘い味と香りがついている牛乳をやっと飲んでいた。1990年代の話だ。タイ人も「乳臭い」や「バター臭い」のが苦手だったのだが、その壁を壊したのがピザだった。

 1990年代に入ると、台湾にチーズケーキが登場したが、多くの人は生クリームを取り除いて食べていたという。その理由は、「太るから」というほか、マーガリンを使ったクリームがおいしくないからという理由もあった。以下、スコーンの話など出てくるが、省略。

 この『オールド台湾食卓記』の後半は、それほどおもしろくない。親戚が住んでいる東南アジアの話になり、もしかして恋人がいたんじゃないかと思うほど、チェンマイに通い続けていたという話が出てくるが、東南アジアの食文化の話になれば私の方が詳しいから、読み飛ばしてしまった。ただ、母と行った最期の旅となったタイ旅行の話は、ゆっくり読んだ。

 食文化以外の話題では、やはり中国人の人脈は日本人の想像を超えて広いことがよくわかる。台湾人が書いた本に、まさかバンコクの中国人街の通りである「ヤワラート」なんていう語が登場するとは思わなかった。旅行で行ったのではなく、親しい親戚がそこに住んでいるというのだ。日本の友人と中国系インドネシア人との結婚式に行ったことがある。3日間にわたって行われる結婚式には、外国からの出席者も多く、出席者の「宿・飲食・移動」の面倒をみるだけでも大変だろうなと思った。もちろん、結婚祝いも安くはないはずだ。

 台湾とはまったく関係ないが、キムチの話を追加しておく。

 『キムチの文化史』(佐々木道雄、福村出版、2009)は高額な本だが、神田の古本屋で安く売っていたので買った。一部は自費出版物ですでに読んでいて、参考文献に拙著『東南アジアの日常茶飯』も上がっていたのを覚えている。

 キムチが赤くなるのはかなり遅いとか、白菜キムチは近代に入ってからだといった記述は、私がすでに書いたこととかなり通じる。各種文献にあたって、キムチに使う野菜とトウガラシの関係を追っているが、トウガラシの種類を考慮していないのが問題点だと思う。例えば、30年間でトウガラシ使用料が3倍になったとすれば、3倍辛くなったのか? 10倍のトウガラシを投入したら、辛くて食べられなくなるから、パプリカのような甘味トウガラシの使用が増えて、より赤くなるわけで、少なくとも、ここ100年か50年のトウガラシの品種と生産量の推移と、場合によっては輸入量といった資料を読み解かないと、キムチが赤くなった過程はわからない。そういった調査は、韓国食文化を専攻する大学院レベルでできることで、韓国語ができれば卒論レベルでできる。だから、どなたか、一つ、お願いします。「韓国におけるトウガラシの研究」といった論文を読みたい。韓国料理に関する本や食文化やキムチ関連書は、それこそ山ほどあるが、トウガラシの品種に注目して述べた例を知らない。もしどなたかご存じなら、ご教授いただきたい。