1516話 本の話 第1回

 

 『客室乗務員の誕生』(山口誠 岩波新書) その1

 

 客室乗務員に関して本腰を入れて調べてみようとしたことはないが、旅行史の研究として、少しは資料を読んだことはある。日本航空全日空日本交通公社の社史のほか、本棚の交通関連書からスチュワーデスが関連する本を探ると、すぐに見つかったのは次のような本だ。

『パン・アメリカン航空物語』(帆足孝治、パンナム・ジャパン史編集委員協力、イカロス出版、2010)

『パン・アメリカン航空と日系二世スチュワーデス』(クリスティン・R・ヤノ、久美薫訳、原書房、2013)

日本航空一期生』(中丸美繪、白水社、2015)

『スチュワーデス 私の2万5020時間』(永島玉枝、読売新聞社、1999)

 なぜここでこういう資料を挙げたかというと、この4冊を読んでいれば、この『客室乗務員の誕生』を読む必要がなかったからだ。しかも、こうした資料の方がおもしろいのだ。

 客室乗務員の話とは直接関係ないが、日本航空設立までのいきさつが『日本航空一期生』に詳しい。この本の著者は日本航空の元スチュワーデスであり、退職後作家になった人なので、ただの素人の思い出話レベルをはるかに超えた内容が詰まっている。

 戦後の日本には、航空会社は外国に任せればいいという主張と、なんとしても日本の会社がやるという2派があり、外国、つまりアメリカの会社に任せればいいというグループの中心人物が白洲次郎だ。国産派には藤山愛一郎や森村勇(のちのTOTOなどの森村グループ)などがいて、これはこれで実に興味深いビジネス戦争である。

 日本航空第一期生の募集は、1951年「エアガール募集」としてわずか8行の広告が新聞に載った。『客室乗務員の誕生』には、「七月二二日、小さな求人広告が(中略)『読売新聞』に掲載されていた」とある。これでは、小さなラーメン屋の店員募集のような広告に思えるが、『日本航空一期生』によれば、「この広告は、昭和二十六年七月二十日から二十二日にわたって、毎日、読売、産経、朝日、東京、日本経済新聞の各紙に掲載された」とあるから、ラーメン屋の店員募集とは規模が違うことがよくわかる。しかも、『日本航空一期生』には、その「エアガール」の待遇もちゃんと書いてある。基本給は3000円で、1時間当たりの飛行手当てが100円。当初の給料は8000円ほどで、訓練を終えた数か月後には2万円ほどの給料になるという話だった。ちなみに、1951年当時の小学校教師の初任給は5000円ほどだ。日本航空よりも早く日本でスチュワーデスを募集したのが、タイの航空会社だった。タイ航空の前身となるPAOS(Pacific Overseas Airline (Siam) Limited タイ太平洋航空)の待遇は月給3万円プラス乗務手当てだった。当時の若い女性にとって、とんでもない高給だったことがよくわかる。

 もうひとつエピソードを添えておくと、1951年の試験飛行に使った機材はフィリピン航空機をチャーターしたもので、教官のフィリピン航空スタッフだった。自前の機材がまだなかったのだ。

 『日本航空一期生』には、数多くの付箋がついている。おもしろいと思った記述がいくらでもあるからだ。日本航空最初の機内食は、1951年の東京・大阪線90分の飛行中で、タマゴとハムのサンドイッチと紅茶だった。スチュワーデス自身が事務所から飛行機まで運んでいたという。トイレの話も興味深く、伊丹空港には清掃業者が入っていなかったので、飛行機内の汚物は、日本航空の社員が肥桶に入れて空港施設まで担いで運んだという。トイレが故障したときのために、おまるを用意していた。

 1954年(『日本航空第一期生』では1955年となっているが、あやまり。中公文庫版では訂正されている)から、日本航空は国際線を飛ばすことになった。東京・サンフランシスコ線週2便だ。こういう思い出話が載っている。「当時は座席が決まっていませんから、搭乗がはじまると、お客さまは後ろの席をご希望で、後ろへ後ろへと走っていかれました」。後ろなら、翼に邪魔されずに外の景色が見えるかららしい。こんなことも書いてある。サンフランシスコの「空港オフィスは、貨物倉庫の片隅にあるカマボコ兵舎風の建物で、やはり冷暖房も水道もトイレもなかった」そうだ。そういえば、日本航空が利用し始めたころの羽田空港待合室は、「吹きさらしの場所で(中略)、トイレもなく、乗客には市内営業所を出るときに済ませるように案内したものである」ということだったそうだ。「吹きさらし場所」の写真は、本書に載っている。海水浴場の屋根付きテラスか。

 この本など航空会社の戦後黎明期の話はこのアジア雑語林820話から4回でたっぷり書いている。パンナムのことも書いているので、飛行機で飛んでください。そのコラムを書いたのは2016年で、それっきり再読していなかったのだが、今回アマゾンで確認すると、2018年に加筆されて中公文庫に入ったと知って、すぐさま発注した。単行本を出したことで、日航出身者たちと連絡が取れるようになり、追加取材が可能になって、大幅な加筆になったという。すこぶるおもしろい本なので、旅行史などに興味のある人にお勧めします。

 獨協大学教授の観光学者が書いた『客室乗務員の誕生』の話が出てこないのは、ほかの本の方がはるかにおもしろいからだが、気になる点は次回に書く。