若大将の海外旅行
加山雄三の東宝映画「若大将」シリーズは、荒唐無稽な青春映画という印象を与えるかもしれない。スポーツ万能で後半は学業優秀という若者の話なのだが、海外旅行史の史実という点では、かなりのリアリズム映画なのである。現実味のある夢物語なのである。年表風に、若大将の海外旅行の話を書いてみよう。
東宝映画の「若大将シリーズ」は1961年から71年までに制作された計17作(別作1)をさす。
加山雄三演じるスポーツ万能の大学生田沼雄一、通称「若大将」が初めて外国に行くのは、第4作「ハワイの若大将」からだ。
1963年第4作「ハワイの若大将」・・・資産家の息子石山新次郎(通称「青大将」、田中邦衛が演じる)がハワイ留学を口実にハワイで遊んでいるから、息子を日本に連れ帰ってくれと父親に依頼される。若大将がハワイに行く方法は描かれていないが、資産家の依頼なら「業務渡航」といった偽装は簡単だったはずだ。
日本が海外旅行自由化する前年の作品で、パン・アメリカン航空が全面的に支援している。1963年に東宝はハワイで大々的にロケをして「ハワイの若大将」、「社長外遊記」、「ホノルル・東京・香港」の3本を作った。監督は違うが、スタッフはハワイに滞在し、3作の撮影をした。「若大将シリーズ」はパン・アメリカン航空とタイアップした海外観光映画でもある。
1966年第7作「アルプスの若大将」・・・建築学部の学生である若大将の論文がヨーロッパで認められ、招待を受けてヨーロッパに行く。ロケ地はイタリア、スイス、オーストリア。タイアップ作品だから、パン・アメリカン航空のローマ支店も画面に出てくる。大学生は、招待されて、やっと外国に行くことがきた。
1967年第9作「レッツゴー! 若大将」・・・大学のサッカー部員である若大将が香港に遠征する。まだ、自費では無理だがスポーツ遠征なら外国に行くことができた。 1968年のメキシコ・オリンピックで日本のサッカーチームが出場となったことを受けての企画。
1967年第10作「南太平洋の若大将」・・・水産大学の学生である若大将は、練習船でタヒチとハワイに航行。カネのない若者は、船員となって日本を出るというパターン。
1968年第12作「リオの若大将」・・・理工学部の大学生である若大将は、教授の出張に付き添ってブラジルにいく。大学卒業後は、リオデジャネイロの造船所に就職予定。
東宝の社長と石川島播磨重工業の社長が友人ということで、タイアップしてリオの造船所訪問というストーリーになったようだ。
1969年「ニュージーランドの若大将」・・・若大将は大学を卒業して、自動車会社に就職している。ニュージーランドに赴任。会社のカネで、外国に行く。
1970年第15作「ブラボー! 若大将」・・・商社のサラリーマンである若大将は、失恋の痛手をいやすため、会社を辞めてグアムに渡り、通訳になる。元同僚のOLもグアムに観光旅行に来る。ジャンボジェットの就航で団体運賃が安くなった時代だ。若大将シリーズ第15作目にして、やっと自費での海外渡航だ。それが、この当時の若者の現実だろう。そういうリアルさがこの映画にある。もうひとつの現実は、グアムをロケ地に決めた理由は、藤田観光が経営するグアムのホテルとタイアップするためだ。
1981年第18作「帰ってきた若大将」・・・シリーズ特別編。サザンクロス諸島自治政府顧問になっていて、大統領の要請でニューヨークに行く。ニューヨーク・シティー・マラソンに出場。ハワイでもロケ。若大将シリーズを支えていた航空会社が、パン・アメリカン航空から日本航空に変わった。パン・アメリカン航空の太平洋路線は、1986年にユナイテッド航空に売却し、91年に破産。日本の映画や大相撲や、「兼高かおる世界の旅」(1990年終了)などのテレビ番組を支えたパンナムの臨終であった。ちなみに、このパン・アメリカン航空がいかにめちゃくちゃな会社であったかを知るには、『パン・アメリカン航空物語』(帆足孝治、イカロス出版、2010)や『消滅―空の帝国「パンナム」の興亡』(高橋文子、講談社、1996)がある。そして『パン・アメリカン航空と日系二世スチュワーデス』(クリスティン・R・ヤノ、久美薫訳、原書房、2013)は民族やジェンダーで航空会社を考察した名著だ。『旅する翼』(高橋文子、ダイヤモンドビッグ社、2019)はまだ読んでいない。