1664話 「旅行人編集長のーと」に触発されて、若者の旅行史を少し その12

 地方在住者および県庁所在地から遠く離れた土地に住んでいる(気の毒な)人たち 1

 

 1970年代、私は東京をふらふらしていた。何かおもしろそうなことはないかと探している若者がいる場所に出没し、すでに書いたようなミニコミやパンフレット類を手に入れ、実際に格安フライト会社に行ったり、「オデッセイ」のような雑誌編集部にも顔を出した。神田神保町を歩き回ってわかったのは、実用的なガイドは日本語出版物ではなさそうなので、銀座イエナ書店や日本橋丸善といった英語書籍を扱う本屋に行って資料を探した。トーマス・クックの鉄道時刻表などは見つけた。個人旅行者用の「旅行し方ガイド」のような本は見つかったが、役には立つとは思えなかった。1975年のヨーロッパ旅行でわかったのは、イギリスの若者が出していた”Overland”シリーズというものがあり、アジア編とアフリカ編があった。タイプ打ちした原稿をコピーしただけのもので、製本はしてなかった。ただの箇条書き原稿だった。そういう事情だったから、『アジアを歩く』(深井聰男、山と渓谷社、1974)は貴重本で、品切れになったあと、アテネなどヨーロッパでこの本のコピーが高額で売られていた。ヨーロッパにいても、旅行情報に渇望していたのだ。

 それで・・・と、ふと考える。

 あの時代、もし私が青森や鳥取や佐賀や、ほかのどこの県でもいいのだが、首都圏や京阪神以外の土地に住むまじめな勤労青年だったとして、「インドか、行きたいなあ」と思ったとする。で、どうすればいいのか。県内のどこに住んでいるかで、そのあとの行動が大きく異なる。県庁所在地かその周辺に住んでいれば、パスポート申請にはそれほど手間はかからないが、もし山村や離島でなくとも、県庁から遠い所に住んでいたら、パスポートを手に入れるだけでも大事業だ。パスポートの申請と受理のために、県の旅券施設までの長い旅をしなければいけなかった。旅券法が改正されて、県庁まで行かなくても市町村でもパスポート事務ができるようになるのは、2004年以降だろう。

 幸いにも県庁所在地に住んでいて、JTBなど大手の旅行代理店がすぐ近くにあったとする。しかし、できることは、旅行代理店に行ってツアーパンフレットをもらってくるくらいのことだ。旅行社のカウンターで、「アメリカに安く行きたいんですが・・・」言っても、自由時間が多いツアーを紹介されるくらいだろう。「ヨーロッパをヒッチハイクで旅したいんですが・・・」というと、幸運ならヨーロッパ片道シベリア鉄道の旅ツアーのパンフレットをくれるかもしれない。あっ、今思い出した。1975年に私は交通公社の、そのシベリア鉄道経由ヨーロッパ片道ツアーに参加したのだが、添乗員がつかない片道長共産国ツアーだからだと思うのだが、出発前に東京駅前の国鉄本社ビルの中にあった交通公社本社内会議室に参加者全員が集められ、旅行の全行程の説明が行なわれた。この会に参加できない地に住んでいたら、出発当日横浜港に行くことになるが、広い港をウロウロすることになるかもしれない。

 首都圏在住者でも、外国は遠かった。

 どこに住んでいようが、外国旅行の資料がある程度手に入るのは、1970年代末から出版が始まる『地球の歩き方』シリーズからだろう。このガイドブックがでるまで、パスポートとビザの違いや、パスポートやビザの取り方をていねいに説明しているガイドブックはほとんどなかった。ガイドブックはツアー客が持っていくもので、旅行手続きはすべて旅行社がやって手数料を稼ぐシステムになっていたからだ。

 航空券情報は、『地球の歩き方』巻末広告が頼りだっただろう。1984年創刊のツアーパンフレット雑誌といった感じの「AB-ROAD」(リクルート)で、ツアー情報は増えた。

 友人などの話から、格安航空券というものがあると知った人でも、電話で航空券のことを問い合わせるには、若者の旅行知識があまりに未熟だった。パソコンを見たこともないという人が、電話でパソコンを注文するようなものだ。格安航空券会社がある場所に住んでいないと、個人旅行の情報は集めにくい。「空港でのチェックイン」とか「外貨両替」というものが、具体的にどういうものかまったく知らない人が、「安い航空券が欲しい」と電話をかけてこられても、旅行社も困る。だから、HISをはじめとする格安航空券を扱う会社は、随時「旅行説明会」というようなものを開催していた。旅行社のカウンターで、インドの安宿情報や鉄道旅行の仕方を質問されると、時間がかかり商売にならない。その当時、格安航空券を扱っていた友人の話では、「10万円の航空券を売っても、利益は500円か1000円なのに、ひとりに1時間もカウンターを占領されたら、大損なんですよ」と言っていた。だから、HISなどがインド旅行説明会を開こうとしたら、怪しげな宗教の勧誘活動だと誤解されたという。そういう時代なのだ。