1665話 「旅行人編集長のーと」に触発されて、若者の旅行史を少し その13

地方在住者および県庁所在地から遠く離れた土地に住んでいる(気の毒な)人たち 2

 

 どこに住んでいようと、旅行情報が手に入り、航空券が手に入るようになったのは、インターネット時代に入ったここ10年か15年くらいだろうか。パソコンを使って、自宅で世界の航空券や船や鉄道の切符も手に入るようになった。航空券をインターネットで買うようになり、それまで存在していた「航空券」という印刷物の束はほとんど消えた。自宅でプリントアウトした紙か、スマホにある情報が航空券になった。スマホの情報をプリントアウトして空港でチェックインということもあるそうで、「プリントアウト料金」を徴収されたという旅行者の話は、スマホを持っていない私の理解力を超えている。

 ちょっと余談をする。その昔、雑誌「旅行人」の投稿に、「なぜか、東北人のバックパッカーが少ない」というのがあった。私も、旅先で東北人に出会ったことがなく、不思議に思っていたのだ。旅行の話を書いているライターで東北出身だと知っているのは、秋田出身の伊藤伸平氏くらいだ。一方、九州出身というと、天下のクラマエ師ほかいくらでもいる。バックパッカーの地域差というテーマはおもしろい。どこの出身でもいいが、東京や大阪や京都で過ごす機会がない人は、『地球の歩き方』以前は旅行情報の空白地域に住んでいるということだろう。

 インターネット時代になり、安い航空券は「カチャリ」のクリック一発でナイロビだろうがサンパウロだろうが、アメリカ各都市の周遊だろうが好きなように買えるようになったのだが、「あとが大変だろうなあ」と思うことがある。ビザの問題があるからだ。現在は「ビザなし入国」が可能な国が増えたが、1970年代だと、ごく短期の滞在以外、ビザを要求する国はいくらでもあった。タイは、出国券があれば「7日以内はビザなし滞在可」だから、ほんのちょっと長くいようと思ったら。ビザが必要だった。安い航空券が手に入っても、地方在住者はつらいのだ。

 1975年ごろ、インドもインドネシアも、いかなる目的であれ入国にはビザが必要だった。在日本インドネシア大使館に観光ビザ申請に必要な書類を問い合わせたら、「学生なら学校からの推薦状、勤め人なら勤め先からの推薦状が必要」だという。これは香港のビザ申請と同じだった。旅の知恵を多少付けた私は、シンガポールインドネシアのビザ申請をすれば、申請書に記入するだけで取れて、しかも安いということがわかった。「ビザは、なるべく近くの国で取れ」という原則を学んだ。しかし、マレーシアのビザをインドネシアで取ろうとしらた不可能で、マレーシアにビザなしで強硬入国したことがある。インドネシアとマレーシアの仲が非常に悪い時代だった。マレーシアは出国券があれば「ビザなし入国」ができるし必要ならビザもとれる。しかし私は、マレーシアから船で出国する予定で、その船の切符はマレーシアでしか買えない。だから、出国券を用意しての「ビザなし入国」ができない。ビザも取れない。そこでしかたなく強硬入国した結果、空港の事務室に連れていかれ、事情を聴取され、ペナンからタイのハジャイへの航空券を買わされて、入国。その足で街のマレーシア航空のオフィスに行って買ったばかりの航空券を払い戻しして、マドラス行の乗船券を買いに行った。そういうテクニックを知らないときは、できる限り日本でビザを取っておくことになるのだが、それもまた面倒だ。

 それからだいぶ後の話だが、ジャカルタから北上してスマトラ経由でマレーシアも行くという旅行を考えて、インドネシアのビザを持たずにジャカルタに着いた。「船でマレーシアに行く」という私の主張は認められず、ジャカルタシンガポールの航空券を買わされた。もちろん、入国後にキャンセルした。

 私の場合はなんとか入国できたが、最悪の場合は航空会社が費用を負担して強制送還される。そういうトラブルを回避するため、空港でのチェックインの時、帰国航空券やビザの有無を確認することがある。マドリッドからモロッコのラバトに飛ぼうとして、空港のチェックインカウンターで足止めされた。「モロッコのビザがないから搭乗できない」と職員が言った。「日本人はビザは要らないんですよ」というと、「スペイン人は必要なんですがねえ・・」と不満そうだった。パソコンでちょっと調べた後、チェックインできた。

 今、タンザニアに不法入国したことも思い出したが、その話は長くなるので、次回にする。