2039話 続・経年変化 その5

音楽 5 なつかしい音楽 2 

 アメリカの歌の次によく耳にしていたのは、シャンソンだった。シャンソンは好きではないというより、苦手な部類に入る音楽ジャンルで、中村とうようが「大げさに歌うシャンソンが嫌いだ」というようなことを書いていて、「そうそう」と相づちを打った。いろいろな音楽を聞きたがる私だが、シャンソンとオペラのCDは買ったことがない。シャンソンは嫌いな音楽ジャンルなのに、なぜか歌手名をよく知っている。ラジオで聞いて覚えたようだが、名前と顔と歌が一致する歌手はそれほど多くない。思い出すままに名前を書き出すと・・・、

 イブ・モンタン

 エディット・ピアフ

 シャルル・トレネ

 モーリス・シュバリエ

 ダミア

 ジュリエット・グレコ

 イベット・ジロー

 まだまだいくらでもでてくるなあ、好きじゃないのに。日本のラジオでフランス語のまま放送されることは少なく、石井好子芦野宏高英男、丸山明宏(現美輪)らの歌で聞いた。その後の時代は、加藤登紀子や金子由香利、長谷川きよしやクミコなどがいる。シャンソンファンは、終戦直後の高校生や大学生で、だから私とは無縁だ。それなのに知っているのは、開高健(1930~89)のエッセイにシャンソンがよく出てくるし(例えば、ダミアの「暗い日曜日」)、永六輔(1933~2016)がシャンソンの大ファンで彼のラジオ番組でよく紹介されていたからだ。そして、「音楽がどこにでもあった」時代だから、テレビやラジオでもシャンソンを耳にした。

 「私の記憶では」という限定がつくが、1950年代から60年代前半あたりにもっともよく耳にした外国の音楽はもちろんアメリカ音楽で、50年代は日本語カバーがほとんどで、60年代に入るとオリジナルと日本盤の両方が放送されていた。

 1950年代から60年代前半はアメリカンポップスのカバー全盛期だった。その話は次回に比較的詳しく書くことにして、60年代なかば以降の話をしよう。

 ロカビリー、ツイストに浮かれてた青少年の心を一気につかんだのはベンチャーズだった。エレキギターが前面に出てくるエレキバンドの音楽が、若者の音楽趣味を握りしめた。”Walk don’t run”は1960年発売で、日本でもじわじわ人気が集まり、大人気になるのは60年代なかばだ。日本全土にエレキバンドを生んだ現象を考えると、その影響力はビートルズ以上と言ってもいいかもしれない。この時代、加山雄三の時代でもあり、映画「若大将」シリーズの時代でもある。エレキの時代を反映して映画「エレキの若大将」(1965)もあり、中学校の同級生がこのシリーズに夢中になっていたのを覚えているが、、エレキバンドも加山雄三も、「あんな映画の、何がおもしろいんだ」と私は思っていたから、完全に無視していた。それなのに、ずっとあと、1990年代になって、日本人の海外旅行史研究の資料として、この「若大将」シリーズをほぼ全部見ることになった。映画としては、やはり「なんだかなあ」なのだが、旅行史研究の資料としてはピカ一だった。特に若大将シリーズは、日本人の海外旅行史と連動していて、サラリーマンのボーナスで外国に行くことができる時代が来ると、映画のなかでもOLの海外旅行が描かれる。

 ついでにいうと、海外旅行史のもうひとつ重要な資料が、石原裕次郎の映画だった。荒唐無稽なようで、ある程度理屈に合った筋にしている。日活はヌーベルバーグの影響を受けた作品があり、バックにジャズが流れている映画があり、「憧れのパリ」を描く作品もあり、異国憧憬研究者にとっては、資料の宝庫だ。

 この文章に手を入れている今、ラジオからいしだあゆみの歌が流れている。低音で歌う曲がいい。西田佐知子、日吉ミミ北原ミレイなどと同じ系列の歌い方をする。歌謡曲の黄金時代だな。