1259話 プラハ 風がハープを奏でるように 68回

 ティナと その3

 

 その日の雑談会は、言葉をテーマにして始まった。彼女の母語はフランス語で、北部で使われているオランダ語も、ドイツ語もある程度わかる。英語は、文献を読んだりするのには不自由はないが、会話が問題だといった。

 「イギリス人なんかと話していると、同じように早くしゃべれなくてイライラするし、口語表現がよくわからない。発音で苦労するのは、H。英語をしゃべっていても、『フランス語のようにHを落として発音しちゃだめだ』という意識が強く働いて、会話がおろそかになりそうなの」

 Hを巡る感覚は、私にはわからない。

 「フランス語だって、ちぇんとHを発音すればいいんだよね、書いてあるんだから。それがいやなら、Hを落として書けばいいんだけどな」

 私の暴論にティナは苦笑いした。「そんなこと、できるわけないじゃない、バカね」という笑いで、もちろん私もわかって言っているのだ。「LとRは違う文字で書いてあるんだから、それぞれ違う発音をすればいいじゃない」と言われたら、返す言葉がない。

 次に、ベルギーの企業の話になった。「ベルギーに、世界的に有名な企業はあるのか」と質問した。

 彼女はパソコンの画面に大企業リストを出した。

 「有名企業はあるんですよ。あっ、ここは有名だけど銃器の会社。ここは、ビールの会社、これはスーパーマーケット・・・・」

 企業の説明をしていくが、私は知らない。それは私の知識不足のせいだ。リストをのぞき込むと、1社だけ知っている企業があった。Godiva。チョコレートのゴディバだが、彼女はあまり好きではないらしい。

 「もっと高級なところはあるし、もっとおいしくて安いチョコもあるし・・・」とチョコレートメーカーの名を挙げたが、すべて私は知らない。

 音楽の話もした。そもそもベルギーの音楽も歌手も知らないから論外で、彼女もなじんでいるフランスの音楽の話が始まった。

 「フランスの音楽なんて、知らないなあ。今、どういう音楽が流行ってるのか、全く知らない。若い歌手やグループで知っているのは・・・、ああ、名前を忘れた。昔の人なら、少しは知っているよ」

 「昔の人って、例えば? フランス・ギャル?」

 「そう、それからシルビー・バルタン。フランソワーズ・アルディー・・・、ああ、大事な人を忘れていた。エディット・ピアフ

 「私、ピアフは好きですよ」

 「それから、ジョニー・アルディー、シャルル・アズナブール、ムスタキ、ミシェル・ポルナレフブリジット・フォンテーヌ、ジェーン・パーキン、アダモ、エンリコ・マシアスクレモンティーヌ・・・」

 現在の国籍は知らないが、フランス語で歌っていても、ジョルジュ・ムスタキはエジプト育ちのギリシャユダヤ人、ジェーン・パーキンはイギリス人、マシアスはアルジェリアでうまれ育ったフランス人。シルビー・バルタンだって、ブルガリア出身。彼らの経歴はある程度知っていたが、アダモはイタリア生まれのベルギー人だということを、今このブログの確認作業をしていて初めて知った。

 「あっ古い人の名前を突然思い出した。イブ・モンタン

 「だいぶ古いわね。先日亡くなりましたね」

 ちょっと前にテレビを見ていて、ニュースの時間に、若いころのイブ・モンタンが歌うシーンが流れ、高齢だから「もしや・・・」と思ったのだが、やはり、あれは訃報だったのか。

 瞬時に、イブ・モンタンが出演した映画のことを思い出した。何本かは見ている。すると、あの時代の古い歌手たちの名が次々と浮かんできた。

 「ジルベール・ベコー、ダミア、ダリダ、シャルル・トレネ、イベット・ジロー・・・、あっ、もっと後の人だけど、セルジュ・ゲンスブール

 「正しくは、Serge Gainsbourg」と、発音を直された。もしかして「ゲンブール」と言ったかもしれない。私はフランス語をまともに勉強したことがないし、フランスの歌手の名前だって、ラジオやテレビで日本人が発音しているのを聞いて覚えただけで、原音をまったく知らない。うろ覚えのカタカナ・フランス語だから、発音の悪さは致し方ない。

 出生地はいろいろあっても、フランスで活躍した歌手の名をこんなに知っていることに、自分でも驚いた。シャンソンのファンではまったくなく、むしろ大嫌いな音楽ジャンルなのだ。音楽評論家中村とうようが「音楽は広く好きだが、シャンソンは大嫌い」と書いているのを読んで、「そうそう」と相づちを打った。シャンソンもオペラも、大嫌いだ。

 大嫌いなのにシャンソン歌手を多く知っていたのは、私が育った時代のせいだ。私は昔から音楽を聞くのが大好きで、たえずラジオのそばにいた。子供のころ、日本にもシャンソンの時代があった。この話、長くなりそうなので次回にまわすことにする。

 

 本文とは関係ないが、プラハのジャズクラブReduta。アメリカの大統領、ビル・クリントンもここで演奏している。共産党時代から、ここは西側に開いた窓だった。

https://www.redutajazzclub.cz/en

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