1102話イタリアの散歩者 第58話

 カンツォーネの時代


 ローマで乗り換えて、シチリアパレルモ空港に着いた。イタリア最初の日のことだ。空港からパレルモに行くバスの運転手は、退屈だったのか、それともニュースを聞きたかったのか、ラジオのスイッチを入れた。ラジオからイタリア語のおしゃべりが聞こえたが、もちろん何を言っているのかわからない。
 音楽が流れだした。昔の曲だということは、曲調ですぐにわかる、聞いたことがある歌だ。カンツォーネ全盛時代の歌だ。カンツォーネは、フランス語のシャンソンと同じで「歌」という意味なのだが、カンツォーネは、20世紀に入ったころのイタリア歌謡をさすこともあるが、日本では1960〜70年代のイタリアの歌謡曲をさすことが多い。この時代、日本のラジオからイタリアの歌謡曲がよく流れ、日本人歌手がカバーをして、イタリア人歌手が日本でコンサートを開いたり、日本語盤を発売していた。イタリアに何の興味もない日本人でも、この時代に音楽をよく聞いていた人の耳には、カンツォーネはなじみがあった。1960年代の日本では、イタリアは、観光や料理はほとんどなじみのないものだったが、映画と音楽では身近だった。
 パレルモを走るバスのラジオから流れてきたのは男の声だ。知っている歌だ。男性歌手ではボビー・ソロがもっとも有名だったが、その甘い歌声ではない。とすれば、この歌は、誰だろう。題名は、さて? 忘れたのか、もともと知らないのかはっきりしないが、たぶん中学生時代に聞いて、それ以後耳にしていないが懐かしい感じはする。そのラジオ番組が放送した他の歌は新しいもので、まったく知らない。
 次に私の脳裏にカンツォーネが湧き出したのは、バーリで雨空を見上げたときで、「ああ、雨 La Pioggia」。ジリオラ・チンクェッティの歌だ。
 https://www.youtube.com/watch?v=6lc1oPTfz_k
 あとで調べたら、日本でこの歌が大ヒットしたのは1969 年だったようで、私は中学生だったと思っていたが、もう高校生だったか。
 ローマのある夜、いつものようにホテルでテレビを見ていたら、PV(プロモーション・ビデオ)が流れてきた。老いたロッカーが、若者を従えて歌っている。あっ、この男だ。パレルモのバスで聞いた歌を歌っていたのは、この、ジャンニ・モランディだということに気がついた。
 今の世の中、すごいと思うのは、帰国してジャンニ・モランディ関連の情報を探していたら、ローマで見た映像が見つかった。ローマのテレビから流れていた動画が、日本で簡単に見ることができるのだ。その映像は、これ。
 https://www.youtube.com/watch?v=RWI_Apm1r2Q
 そして、パレルモのバスで聞いた歌もすぐにわかった。これだ。
 https://www.youtube.com/watch?v=e7c1vjB0Qbg
 このイタリア語タイトル”in ginocchio da te”も、日本語タイトル「貴方にひざまづいて」(1966年)にも記憶がないが、この歌ははっきり覚えている。もしかして、布施明バージョンを先に聞いたかもしれない。
 帰国後のこういう調査をやっていたことで、私の1960年代が蘇って来て、ユーチューブでカンツォーネを流しながら、原稿を書いていた。そうだ、あのころ、ミーナが好きだったことを思い出した。こういう歌をトランジスターラジオで聞いてる小学生だった。「月影のナポリ」は1960年,「砂に消えた涙」は1964年で6年生。ラジオからは、ビートルズベンチャーズも流れていた。
 https://www.youtube.com/watch?v=ccK1FifbczE
 https://www.youtube.com/watch?v=tzj8Tecp-TA
 https://www.youtube.com/watch?v=EXIsq2kb9rs
 あの頃だから当然なのだが、私はミーナの顔を知らなかった。芸能雑誌を読んでいれば顔写真くらいは出てきただろうが、その手の雑誌は一切見なかったので、今回この文章の資料を探していて、初めて顔写真を見た。若いミーナは見ていないが、60歳をとっくに超えたミーナはテレビで見ている。2011年放送の「Amazing Voice」(NHKBSハイビジョン)に、現役歌手として登場したときはびっくりした。あの番組はなかなかのものだった。
 「砂に消えた涙」や「ほほにかかる涙」(ボビー・ソロ、1964)を聞いていると、涙を意味する”lacrima”や”lacrime”(複数形)という単語が聞こえ、ポルトガルの歌手ドゥルス・ポンテスの名盤“lagrimas”を思い出した。日本もイタリアもポルトガルも、歌謡曲のキーワードは「涙」だとわかる。
 この原稿を書いているときに、フランス・ギャルの死を知った。ユーチューブに、フランスのテレビで放送された追悼番組があったので、しばらく画面を見つめた。シルビー・バルタンも、60年代に聞いた。1960年代は、ラジオからごく普通にイタリアやフランスやブラジルの歌謡曲が流れていた。昔の方が今よりももっと、音楽世界は広かった。