588話 ラジオの時代 1/4

 イタリア、フランスから歌が流れてきた

 何の脈略もなく、突然「ミーナ」という人名が頭に浮かんだ。台湾の本を読んでいるときで、CDプレーヤーから流れていたのはドナルド・バードのジャズだから、ミーナとはまったく関係がない。ミーナという名を聞いて、「イタリアの歌手だね」とすぐにわかる人は、生活習慣病の検診を受けましょうね。
 ミーナの歌声をたえず耳にしていたのは、小学校高学年か中学1年のころだろうか。「思春期」というと役所の用語に近い雰囲気だが、実感に最も近い表現は、「全身性感帯時代」がふさわしい。なにしろ、国語辞典に出てくる見出し語だけで充分に興奮していた時代なのだから。
 その世代の少年にとって、ミーナの歌は「何か」を感じさせた。エロチックとかセクシーというのではない。「何か」が全身を覆ったのだ。そういう思い出があるというのに、彼女のヒット曲の名が思い出せない。「砂」がついたようだ。砂浜か? 「『砂に書いたラブレター』はパット・ブーンだし」などと思いつつYouTubeの検索欄に「ミーナ」と記入してみた。こんなカタカナ表記の名だけで、はたしてヒットするだろうかと疑問に思ったが、すぐにわかった。「砂に消えた涙」だ。
 http://www.youtube.com/watch?v=GpZsUYXrh3c
 1965年か。その時代に、イタリアのテレビの映像など見た事がないから、動画で見るのは初めてだ。小学生のケンイチ少年がラジオで聞いていたのは、こちらのバージョンだ。
http://www.youtube.com/watch?v=Cfm1CuD1NC0
 YouTubeのリストを見ていたら、なんとこの人も歌っていた。やはり、少年時代の思い出があるのだろう。
 http://www.youtube.com/watch?v=OEpbXLY7ePY
 その昔、ザ・ピーナッツや森山加代子が歌っていた「月影のナポリ」という歌は1960年ごろのヒット曲で、イタリア語のタイトルはこれだが”Tintarella di luna”、この歌を歌っていたのもミーナだったと、この文章を書いているたった今、思い出した。もっぱら日本語盤を聞いていたから、ミーナのバージョンはあまり聞いていないようだ。
 私も、多くの日本人と同じように、「砂に消えた涙」以降のミーナを知らない。一部のファンを除けば日本では忘れ去られた歌手だったのだが、引退したわけではなかった。2011年のNHK「Amazing Voice 驚異の歌声」のイタリア編のゲストとして登場し、いまでも毎年レコーディングしているのだといい、スタジオでその歌声をちょっと披露した。私はミーナのファンというわけでもなかったのだが、突然の大物登場で、しかも現役で歌える歌手(放送当時71歳)ということに驚き、そして感激した。アイドルが大歌手に変身していたという映像だった。
 ラジオでミーナの歌声をよく聞いていた1960年代なかごろは、カンツォ−ネの時代だった。カンツォーネは、フランス語のシャンソンと同じように、「歌」を意味する普通名詞で、特定の音楽ジャンルをさすイタリア語ではないのだが、日本では1950年代末から60年代末ごろまでのイタリア・ポップミュージックをさす。ウィキペディアによれば、クラシックの世界では昔からのイタリア歌曲もさすらしいが、そういう用法を、私は知らない。
カンツォーネの代表的な歌手は、ミーナのほかに、ジリオラ・チンクェッティ、ボビー・ソロ、ウィルマ・ゴイク、ミルバなど5人以上の歌手名に心当たりがある。カンツォーネのファンでもない日本の少年でも、ただラジオを聞いていただけで、そのくらいの歌手名に心当たりがある。ペッピーノ・ガリアルディという名前に心当たりはなかったが、彼の「ガラスの部屋」(1970)は、当時ラジオで何度も聞いていて、よく知っている歌だった。その歌を以前よりもはるかに多く聞くようになったのは、「ヒロシです」の一人芸のバックに流れていた歌だからだ。
 http://www.youtube.com/watch?v=8Fik3tQdhKA
 日本でイタリアのポップミュージックがはやっているその時代は、同時に「フレンチ・ポップス」の時代でもあった。この場合の「フレンチ」とは、「フランスの」という意味ではなく、「フランス語の」の意味だ。じつは私は、イタリアよりも、こちらの方が好きだった。
 ダニエル・ビダルhttp://www.youtube.com/watch?v=oamRCeLNAWA
 フランス・ギャルhttp://www.youtube.com/watch?v=0sCVpFBEt20
 このふたりは、当時の私よりも年上なのに「ガキ」という気がして好きにはならなかったが、シルビー・バルタンにはヤラレタ。少年は小箱に貯めた小遣いを持ってレコード屋に走り、このレコードを買った。生まれて初めて買ったレコードだった。
http://www.youtube.com/watch?v=LBSI2KNiIbQ
 動画など見られる時代ではなく、芸能雑誌を読み漁る趣味もなかったから、レコードのジャケット写真以外のシルビー・バルタンを知らない。だから、ほぼ純粋に、歌声にヤラレタのだ。彼女のことはその後もずっと気にかかり、CD時代にベスト盤を買い、YouTubeで、故郷のブルガリアでのコンサートの模様も見た。日本では、私以外にも彼女を忘れられない人が多くいたようで、テレビのCMではたびたび彼女の歌声が流れ続けてきた。
 例えば、これ。
 http://www.youtube.com/watch?v=EN9YJQQHQPQ&list=RDLBSI2KNiIbQ
 じつは、こういうのも、けっこう好きだった。
 http://www.youtube.com/watch?v=hOQtH0bKFq0