33話 神田神保町

 成人篇


  高校を出て建設作業員になったから、金銭的余裕はできたが、稼いだカネは国内旅行に使ってしまい、相変わらずの貧乏だった。海外旅行のために貯金をしなけ ればいけないということはわかっていても、ある程度のカネがたまると国内旅行に使ってしまった。本を好きなだけ読みたいという欲望は変わらずあり、20歳 のころは「いつか1万円持ってこの街に来るぞ」と思っていた。そのころは、財布に1万円札が入っていることはあったが、そのカネを全部本に使う気はなかっ た。
 私は、本を買うのが好きなわけではない。古本マニアでもないし、コレクターでもない。買い集めた本を棚に並べて悦に入る人間でもないし、持っている本の量や質を自慢するために本を買うタイプの人間でもない。読みたい本を買うだけのことだ。
 だから、読まない、あるいは読めないとわかっている本を買うことはない。結果的に読まなかったという本はあるものの、読まないとわかっていて買うことは ない。読みたい本はたくさんあり、そういう本を買うだけでも金銭的に大変なのだから、ただ書棚に陳列して自慢するためだけに本を買う余裕などない。所有欲 というのもないから、「あの人の本を持っているだけでしあわせ」という感情もない。全集を全部揃えようという気もない。読みたい巻だけ買えばいいのだ。初 版本に熱狂するのもバカげていると思う。 それなのに、図書館にほとんど行かないのは、図書館には私好みの本があまりないことと、ライターという仕事上、 深夜でも調べ物をしなければいけないので、必要な本は手元に置いておかなければならないからだ。しかも、私が書くテーマは多岐にわたっているので、種々雑 多な本が必要になる。どの本が突然必要になるかわからないのである。だから本を買うのであって、本を買うのが目的でもないし、買うことが楽しいわけでもな い。基本的に、手元のカネが減るのは好きではないのだ。古本屋に少しでも高く売りたいという気もないから、本に傍線も引けば書き込みもする。タバコの煙で 黄変しようが気にしない。本は、読めればいいのだ。だから、装幀が美しいというだけの理由で本を買うこともない。
 70年代に入ると、以前ほど神田には行かなくなった。早稲田や中央線沿線の古本屋を巡ることが多くなったからだ。その理由は、やはり「神田はお高くと まっている」という印象が抜けきらなかったからだ。神田の古本屋もいまではだいぶ変ったが、かつては現在よりももっと「学術書・専門書の店が並んでいる」 という印象が強かった。大学の図書館にありそうな本が多かったから、そういう本に縁のない私には、中央線沿線の本のほうが魅力的だった。そして、専門書で なく一般書でも、神田は高い値段をつけていた。
 「読みたい本は多いが、どれも高いなあ」と感じていた晶文社の本も、中央線の古本屋では神田よりもずっと安かった。学術的ではないアジアの本も、中央線の古本屋にはいくらでも並んでいた。
 80年代に入ってふたたび神田に戻って来たのは、その学術書を求めるようになったからだ。私はライターになり、東南アジアの文化について本格的に調べる ようになり、基礎となる勉強をしなければいけなくなったからだ。そして、84年のアジア文庫開店。前アジア文庫期は、都内の古本屋・新刊書店を巡って、出 版点数の少ないアジア本を探していた。まだインターネットもない時代だから、新刊情報の入手はほとんど不可能だった。後アジア文庫期になると、既刊本はい つでも買えるし、新刊も確実に入荷した。私が神田に通う理由のひとつは、アジア文庫の存在が大きい。もし、アジア文庫が早稲田にあれば、おそらく毎月早稲 田に通うだろう。高円寺にあれば、毎月中央線沿線の古本屋巡りをしているだろう。
 しあわせにも、その気になれば毎日でも神田に通える所に住んでいるが、もし北海道や四国にでも住んでいたら……と想像することがある。隔月に上京し、ヒ ルトップホテルに泊まって、本の買い出しをやるなんていいなあと思うが、あのホテルはかなり高額なので、もっと安いホテルに泊まってその差額分で、もっと 多く本を買ったほうが利口だ。大きなバッグを肩に古書街を歩き、まとめて買った店で発送の手続きをして……と、その姿を想像していたら、なんだバンコクで やっていることと同じじゃないかと気がついた。