28話 東南アジアの小説を巡る話 (1)


 勁草書房の社長だった井村寿二氏が、東南アジアの文学や社会科学論文を翻訳して出版する 井村文化事業社を作ったのは、1970年代なかばだろうと思う。井村文化事業社発行、勁草書房発売というかたちで「東南アジアブックス」シリーズの刊行が 始まるのは、76年1月の、次の2冊からだった。
『ノリ・メ・タンヘレ』(ホセ・リサール、岩崎玄訳)
『暁を見ずに』(ステヴァン・ハヴェリャーナ、阪谷芳直訳)
 図書購入帳を調べると、私が最初に買った「東南アジアブックス」は、タイの小説『生みすてられた子供たち』(シーファ、野中耕一訳)だった。この本が出 版されたばかりの81年のことだ。しかし、それが最初に読んだ東南アジアの小説というわけではない。それ以前に、知人が買った「東南アジアブックス」を借 りて、次から次へと読んでいた。それなのに、『生みすてられた子供たち』を買ったのは、「東南アジアブックス」がどれもおもしろいとわかったのに、友人が まだ買っていなかったからだ。この当時、「東南アジアブックス」をもっとも多く備えていたのは、八重洲ブックセンターだったのではないかと思う。その後、 借りて読んだ本はすべて買い直した。神田の古本屋をていねいに歩けば、当時は「海外文学」の棚に「東南アジアブックス」が何冊か並んでいた。
 ほとんど小説を読まない私が、「東南アジアブックス」で刊行されるアジアの小説を好んで読んだのは、変な言い方かもしれないが「文学偏重」ではなかった からだ。作品の芸術性を第一に考えるのではなく、まず読んでおもしろい小説であり、その小説を読むことで、舞台となる地域に住んでいる人々の生活や考え方 が日本人読者によくわかるようにする入門書として考慮されていたからだ。
 例えば、この『生みすてられた子供たち』が出版されるいきさつが、それを象徴している。
 翻訳者の野中耕一氏は、農業経済の専門家で、アジア経済研究所の海外調査員としてバンコクで駐在員生活を送っていた。仕事がら、本屋で農業に関係ありそ うな本を見つけたら、片っ端から買って読んでいた。そんなある日に買ったのが、『カーオ・ノック・ナー』(田の外のコメ)という本だった。「カーオ」(コ メ)という語にひかれて購入したものの、読んでみたら農業とはまったく関係のない小説だった。タイトルの意味は、田の外で勝手に育った稲ということから、 「はみ出し者」「よけいな者」という意味になる。日本のように苗を植えるのではなく、籾を田にまくから、どうしても田の外に籾が飛ぶ。小説の内容を考える と、もしかすると、籾は子種の意味も暗示しているのかもしれない。
 この小説は、異父姉妹の物語だ。母はタイ人だが、父はベトナム戦争時代にタイに駐留したふたりの米兵。ひとりは白人で、もうひとりは黒人。この姉妹の成 長の記録である。野中氏がこの小説を翻訳しようと思ったのは、混血児の問題を取り上げたかったのではなく、「作者が混血児の生い立ちを語る中に、現代のバ ンコクに住む人々の日常性が、まことに生き生きと描かれていたからである」(訳者あとがき)。自分の専門を越えても、日本人読者に伝えたいことがある小説 を翻訳したいという情熱。これが、「東南アジアブックス」全体に行き渡っているから、小説が苦手の私でも全巻読んでみようという気にさせたのである。
 だから、文学研究者が「その高い文学性」を評価して翻訳した昨今の翻訳書は、私にはまるでおもしろくないのである。文学研究者が、他の文学研究者だけを 読者にした翻訳書は、「外国文学紹介の成熟」だととらえる人がるかもしれないが、かつて「東南アジアブックス」にあったバイタリティーはもはやない。でき る限り多くの日本人に読んでもらい、その地の文化を理解してほしいという熱意も感じられない。「東南アジアブックス」の翻訳者の多くが文学研究者ではない せいか、正直に言って訳文の日本語にかなり問題はある。読みにくい文章ではある。しかし、文学以外の専門家だから訳注が詳しく、内容の理解に役だった。