28話 東南アジアの小説を巡る話 (2)

  日本人の友人が、中国系インドネシア人と結婚した。そこで、結婚祝いに「東南アジアブックス」の一冊、『タイからの手紙』(ボータン、冨田竹二郎訳)を 送った。第二次大戦直後にタイに移住した中国人の半生を描いた作品なので、インドネシアの中国人世界にもなにか共通する部分があるだろうと想像したから だ。嫁さんは英語が堪能なので、バンコクで英語版も買っていっしょに送った。
 それから半年ほどして、その友人と会った。会ったとたん、「送ってくれたあの小説、おもしろかったよ」といったあと、「じつは……」と、ある人物の話を語り始めた。
 中国福建省の港から、13歳の少年がたったひとりで船に乗った。すでにイギリス領マラヤに移住していた姉を頼っての、出国だった。
 船がシンガポールの港に到着しようとしたその日、シンガポールは戦火に包まれた。日本軍の上陸作戦が決行されたのである。1941年12月のことだっ た。シンガポールに寄港できなくなった船は、インドネシアの島々をさまよい、やっとジャワ島東部のスラバヤにたどり着いた。シンガポールの港で姉と会い、 マラヤでいっしょに暮らすという計画は戦争によって消え去り、少年はスラバヤで孤児となった。
 少年は福建出身者たちに助けられ、戦中戦後を生きてきた。製菓職人になった少年はジャカルタに出て、製菓業を始め、事業規模を少しずつ大きくしていった。
「それが義父なんだよ。だから、『タイからの手紙』は、義父の物語として読んだんだよ。日本軍によって自分の運命が変えられ、異国でたったひとりで生きて いかなければならなくなったという話は、結婚するまでひとこともしゃべらなかったんだ。娘が日本人と結婚するということに対して、非難するような言動は まったくなかった」
 そのころ私は、東南アジアの食文化の本を書こうとしていて、友人にマレーシアの知り合いを紹介してもらった。私とほぼ同世代の男で、マレーシアの雑多なことを教えてもらった。その男と食事をしているときに、数年前の出来事を話しだした。
 ビジネスマンである彼は、仕事でジャカルタに出かけた。仕事相手との交渉を終えて、いっしょに夕食をとりながら、雑談のなかで身の上話をした。自分はマ レーシア生まれだが、両親は中国生まれで、母の弟は中国を出たあと行方不明になっている。もしかするとインドネシアで生きているかもしれないのだがと、叔 父の名を口にした。すると、「その男を知っている」と仕事相手が言った。その場ですぐに叔父に電話し、マレーシアの母にも伝えた。生き別れになっていた姉 と弟が再会したのは、弟が福建の港を出てから、40年以上たっていた。友人が結婚するちょっと前のことだった。
 姉も弟も、戦乱に巻き込まれてすでに死亡したと互いに思い込んでいたうえに、身内を探す精神的・金銭的余裕が長らくなかった。
「で、『タイからの手紙』に対して、カミさんの反応は?」と友人にきいた。
「全然。だって、中国人移民の苦労話なんて、彼女にとってはいくらでも身近かにある話だからね」