1793話 地域の専門家 その4

 

 タイの専門家になる気はないのに、『バンコクの好奇心』を書いた後もバンコクに居続けた理由はいくつかある。ナイロビの後アフリカのほかの都市や中南米の都市を選ばなかった理由は、何度も通うには交通費がかかりすぎることと、滞在費は質と金額を考えれば、東南アジアよりも優れているとは言えないという短所もあった。

 タイに留まり続けた理由は、まずビザの問題だ。私が長期滞在した1980年代末から90年代末という時代は、外国人の長期滞在に関して今と比べれば、締め付けは比較的緩かった。観光目的なら、ビザなしで1か月滞在できるが延長はできない。観光ビザを取れば、2か月滞在できて、あとひと月延長できるから、合計3か月滞在できた。もっと滞在したければ、1度国外に出て、ビザを取り直さないといけないが、この観光ビザも延長できるから、また3か月滞在できて、合計6か月180日までは、難なく滞在できた。日本で観光ビザを取るには往復航空券の提示が必要だったが、マレーシアなど近隣諸国なら、大使館でビザ申請書に記入するだけで簡単にビザが取れた。

 180日滞在した後、もう3か月くらいなら問題なく滞在できたが、90年代末ごろから次第に厳しく取り締まるようになり、その後は単なる観光ビザでも申請のために用紙する書類が多く必要になったらしいが、そのころはもう長期滞在をやめていたので、詳しいビザ事情は知らない。

 タイの滞在条件が厳しくなってきたとはいえ、就労ビザも就学ビザも持たずに気楽に長期滞在できる国は、タイしか知らなかった。

 ライターである私は、タイで遊んでいるのが仕事のようなものだから、毎日楽しく遊べないのなら、長期滞在する意味がない。だから、ビザ事情のほかに、タイに長期滞在したのは、タイでぶらぶらしているのが「楽しいから」という理由があった。私が知っているアジアの大都市のなかで、バンコクがいちばんおもしろく、暮らしやすかった。タイでぶらぶらしていると、「タイのどこがいいんですか?」とタイ人に聞かれることがよくあった。そういう質問には、「ナー・ユー」と答えていた。「暮らしやすい、居心地がいい」という意味だ。そう答えれば、タイ人は「うん、そうでしょ」とうれしそうな顔をした。

 タイ散歩の楽しさは、好奇心を満たしてくれることだ。「これは、どうしてだ?」とか、「この歴史を知りたい」といった疑問を調べて、ある程度わかってくるのが楽しく、それが私の遊びである。

 その遊びを支えてくれる英語の資料がいくらでもあった。大書店アジアブックスやチュラロンコーン大学の書店に行けば、タイに関する本が読み切れないほど棚に並んでいた。日本円にすれば、数百円のブックレットや報告書から、5000円を超える豪華本まである。タイで出版した本のほか、外国で出版された英語の本も多くあった。タイに関するフランス語の本の英訳本もあった。非英語圏のタイだが、一般書も学術書も英語の本がいくらでもあった。タイ在住アメリカ人団体が発行している雑誌も、事務所に行ってバックナンバーを買い集めた。

 マレーシアやフィリピンなら、英語の参考文献がいくらでもあるだろうと思ったのだが、私が興味を持つ分野の本はほとんどない。本屋にあるのは児童書や学校の教科書が多いのだ。マラヤ大学の本屋でも、「これはいいぞ」とうれしくなるような本はほとんどなかった。職業的な判断で言うと、そういう街は1冊の本が書けるほどの資料が集まりそうもないということだ。足と頭で散歩を楽しむなら、やはりタイだということになり、タイに居続けたというわけだ。

 「ロクにタイ語ができないくせに」という反省はあるが、「タイ語ができる人が素晴らしい本を書いているわけでもないしね」という居直りもあった。