1792話 地域の専門家 その3

 

 すでに書いた話だが、今回の話題と関係があるので、またその話を書く。

 ある会合で、知り合いの教授が「タイの農村を研究している院生です」と、若者を紹介した。ある村に通い、そこでの研究をまとめた博士論文を書き終えたところだという。街好きの私は、その村にはもちろん行ったことがないが、研究テーマを聞いて、「タイ南部と比べて・・・・」という話をすると、南部には行ったことがないという。マレーシアやカンボジアなどタイ周辺の国にも行ったことがなく、バンコクに着いたらすぐさまその村に行くという調査生活を繰り返してきたらしい。だから、彼は、その村のことを世界一知っている外国人研究者かもしれないが、タイのほかの地域を知らないということは、結局調査している村のことも実はよく知らないということだ。他と比較して研究することなしに、物事を深く知ることはできない。自称「専門家」が、専門分野のことを本当によく知っているとは限らないのだ。研究者の専門領域がどんどん狭くなっているという話は、このアジア雑語林283話で書いている。

 研究者ではないが、タイが好きで通い続けている人を何人か知っている。勤勉にタイ語を学び、かなりできるようになると、タイ人の知り合いが多くなり、結局タイに通うことになる。「インドネシアとか、ほかの国に行きたくならないの?」と聞いたら、「タイ語が通じないんじゃ、つまらない」という。タイを旅行している限り、食堂に入っても、どこに行っても、言葉であまり苦労しなくなると、言葉がまったく通じない土地での不自由さが、想像しただけで耐えられないらしい。

 フランス人はフランス語が広く通じる西アフリカに行きたがり、イギリス人やオーストラリア人は英語が通じる東アフリカに行きたがり、英仏両言語が堪能なオランダ人やスイス人が、アフリカ横断旅行のドライバーに適任だという話を聞いたことがある。余談だが、英仏両言語ともできない日本人は、言葉など気にせず東西アフリカを旅するらしい。「日本語が通じないところには行かない」などと言ったら、ハワイしか行き場所はない。

 ある地域や民族の専門家になると、その土地での調査はやりやすくなり、そこにばかり何度も通うようになる。そうなると、井の中の蛙になりやすい。ある言語に堪能というのは、諸刃の剣になりうる危険性があるということだ。

 地域専門家の危険性はほかにもある。例えばA国の研究を続けていると、在日A国大使館スタッフと親しくなり、A国友好協会のパーティーに出たりすることがある。そういう付き合いが研究にとって有効なこともあるが、政権との癒着も生む。ビルマでも、ロシアでも同様だが、専門家となって政権に近づけば、功労賞などを授与されることもあり、研究生活に便宜を図ってもらえるようになるだろうが、それが研究者として名誉なことかどうかは別問題だ。今、「プーチンに絶賛されたロシア史研究者」という人がいたら、どうだ。

 かつてのスハルト時代のインドネシアでは、スハルト政権に気に入られないとインドネシアに入国できなくなる。インドネシア政治の研究者ベネディクト・アンダーソンは、1972年に政権に要注意人物と認定され入国が禁止され、しかたなく研究地をタイに変えた。その当時の日本では、インドネシア友好団体の日本人が、「こんな反スハルト論文を書いたヤツがいる」とその日本人研究者を大使館にご注進に及び、その結果入国禁止になったという話を聞いたことがある。