インドネシアの旧都ソロのゲストハウスで、おもしろい経歴の若者と会った。ジャワ島出身だが、バリでレゲエのミュージシャンだった。酒とマリファナと女の日々を過ごしていたが、人生に思うところがあり、正しいムスリムの道を歩むことにしたのだという。遠縁にあたるゲストハウスのオーナーを頼ってソロに来て、宿の雑用をやりつつ、外国人客のガイドで生活を立てていた。バリで鍛えた英語がここで役に立った。
宿に客が来れば、「バティック工場の見学をしませんか?」と、ツアーの売り込みをする。私のところにも来た。バティックに興味はあるが、工程はテレビで何度も見ているので、「まあ、いいか」という気分で、ツアーを断っていたのだが、そうすると、 「こういうのはどうですか?」と見学地リストを持ってきた。なかなかに商売熱心である。リストのなかに「豆腐製造」というのがあって、私は食いついた。
「豆腐屋見学ですか、いいですよ。ほかに行きたいところは?」
「ベチャ(三輪自転車)の製造工場」
「はい、大丈夫ですよ」
「ほんと。すごいな。行くよ」
「それから?」
「市場」
「はい、大丈夫です。明日、朝、出発ですね。乗り物はタクシーと馬車のどちらがいいですか?」
「馬車で巡るなんて、できるんだ」
「はい、できます」
彼をガイドに、ソロを馬車で巡る1日ツアーに出た。
市場に行った目的は、よく見かけるが名前も食べ方も知らない植物や魚などについて教えてもらうことだった。彼が知らなくても、市場のおばちゃんに聞けば、教えてもらえるという思惑だったが、彼は食べ物のことをじつによく知っていた。植物名をメモして、のちに資料で確認してみたら、彼の説明が正しいとわかった。ムリンジョmelinjo(グネツム科)を教えてくれたのも彼だ。
市場のはずれに小屋があり、そのなかに壺が並んでいた。ほこりをかぶった素焼きの壺で、調味料を入れておくような壺ではなさそうだ。ということは、骨壷だ。それ以外考えられない。
「これ、骨を入れるんだよね」
「いや、違います。子供が生まれた時に、えーと、英語で何と言うのかな、子供が生まれたときに出てくる肉というか、そういう要らないものを入れて埋めるんです」
胎盤のことを言いたいのだろう。胎盤を埋める! 私の頭の中で、インドネシアとセネガルが突然結びついた。センベーヌ・ウスマンのことを思い出したのだ。
セネガルの作家であり映画監督でもあるセンベーヌ・ウスマン(1923〜2007)の小説をクラレンス・トマス・デルガドが監督した映画「ニーワン」だったと思う。子供が生まれた夜のシーンで、家から庭に出てきた女が、大きな木の根元に壺を埋めるシーンがあった。解説はまったくない。原作である『ニーワン』(センベーヌ・ウスマン、山本玲子・山本真弥子訳、サイマル出版会、1990)を読むと、木の根元に埋めた壺に胎盤が入っていたことがわかった。セネガルとインドネシアが、イスラムを通して同じ文化を共有していることを知った。
ところが、それは私の無知にすぎなかった。
インドネシアから帰国して、ある会で出会った文化人類学者に、インドネシアとセネガルにまつわる話をした。「へえ、そうなんですか」という驚きの反応を期待していたのだが、「日本にもありますね。えーと、あれはなんといったか・・・、そうだ、えなつぼ(胞衣壺)ですね。胎盤を壺に入れて、土間などに埋めるんですよ」
私の発見のように思っていたのだが、セネガルにもインドネシアにも日本にも、そういう習慣があったのだ。日本の場合は、生まれてきた子供が元気に育つように願い、胞衣の上を人が歩き、踏み固めるのだという。調べてみれば、この習俗は縄文時代から昭和20年代あたりまで続いていたという。
http://www.studio-mira.com/Douguology/enatubo.html
韓国では珍島にも同じ習慣があるという。その壺は韓国語で「アンテオガリ」といい、漢字では「安胎甕」と書くという話を、珍島の本を読んでいて知った。
文化人類学者から胞衣壺の話を聞いたとき、我が無知無教養を思い知らされたのだが、普通なら「まあ、いつものことだ」という程度で済むのだが、このときはかなり落ち込んだ。こういういきさつがあったからだ。
タイを研究地として長年研究してきた教授が、こういう話をした。
「タイの農村に通って農耕儀礼の研究をしている大学院生と会って、研究成果の報告を聞いていたんだけど、『先生、すごい習慣があるのを見つけたんですよ』と得意げに話した内容が、日本の農村でもいくらでもあった習慣でね、柳田国男をちゃんと読んでいればすぐに気がつくことなんですよ。日本もタイも、稲作の地だから、同じ習慣があっても不思議ではないんですよ。タイで研究する、タイを研究するということになると、タイ語を学び、タイ語の文献を読んだり、聞きとり調査といったことにまっさきに飛びついてしまい、日本語で読める文献で基礎学力をつけるという勉強が、どうしてもおろそかになりがちなんですね」
この教授の話はよくわかる。タイのことは、タイ語の文献がもっとも詳しいという誤解がある。比較研究するなら、他の言語の資料も読んでおかなければいけないのだが、できるだけ多くのタイ語文献を読むということに心を奪われ、基礎学力の強化を無視する若き研究者が少なくない。あるいは、タイの農村に通い、その農村のことは世界で一番詳しい研究者になっていても、タイ国内のほかの地域の事情や、タイの近隣国の事情となると、「私、その地域の専門じゃないので」と、どんな質問にも答えられない研究者を何人も知っている。
そういう話を何人もの研究者たちとしてきたのだが、私もまたそういう悪例の一つなのだと、思い知らされた。柳田国男はほんの少し「つまみ読み」したにすぎない。基礎学力をつけるより、必要に応じて情報を集めるという「泥縄式勉強」だから、どうしても薄っぺらな知識しかない。若手の研究者たちを笑っている場合じゃないだろと、反省したわけだ。
私は研究者ではなく、ただの独学貧乏ライターにすぎないので、針の先の真実を求めて研究を掘り下げるよりも、棒を振り回してほかの分野まで広く手を伸ばした方がいいと考えているという言い訳はできるが、それにしても勉強不足である。
だが、基礎知識を積み上げる勉強はやはり退屈だから、「こつこつと努力する」という忍耐力のない私は、今年もやはり興味と知識の拡散になるでしょう。