432話 生活を覗く  ―活字中毒患者のアジア旅行

 韓国で初めて泊った宿は、伝統的な民家をそのまま利用した民宿だった。田舎で訪れた家のなかに、白いペンキで塗装したアーリーアメリカン調の医院があった。取材では、マンションにも行ったことがある。
 そんなことを思い出しながら読んだのが、『韓国現代住居学』(ハウジング・スタディー・グループ、建築知識)だ。私がいままで読んだ韓国・朝鮮関連書のなかでベスト3に入るおもしろさだ。日本と韓国の研究者たちが、家と生活をテーマに何度も調査し、討論して完成させた名著である。
 両班(ヤンバン。高級官僚のこと)の家、農村の新しい住宅、高級マンション、都会の一戸建て、漁村の家、不良住宅(不法住宅)などを、家具の配置図入りの間取り図を添えて解説している。建築物そのものよりも居住に興味がある私には、住民の生活を見せてくれる構成がありがたく、興味深い。例えば、台所には通常の冷蔵庫とともに、キムチ用の冷蔵庫があるとか、韓国のマンションには日本にはない多目的部屋があるといったことが、視覚的に理解できる。
 朝ご飯は誰と食べるかという話も出てくるのだから、文句のつけようがない。有名建築家の作品を鑑賞するといった建築書(これが建築書の王道だ)は大嫌いなのだが、この本はそういう種類の本とはまったく違う。建築書は建物という「物」の紹介だけが目的なのだが、この本は住宅とそこでの生活を共に紹介している。こういうすばらしい本ができたのは、韓国側の協力体制がしっかりしていたからだろう。書店でこの本を見つけて、ドキッとするといけないのでここで書いておくが、定価は5665円だ。客観的に言えば高い本だが、内容を考えれば、高くはない。韓国現代住居研究で最高の資料だから、たっぷり楽しめる。
 韓国人の研究者たちが、植民地時代に建てられた日本住宅に、戦後韓国人はどのように住んできたのかをテーマに研究して、日本語で書いたのが、『異文化の葛藤と同化』(都市住宅研究会、建築資料研究社)。韓国の一般住宅には、元々廊下も玄関もなかった。日本の影響で玄関は受け入れたが、廊下は拒否した。引き戸は取り入れたが、日本式の風呂場は拒否したなどといった事実が、写真付きで紹介されている。
 次の本も、今年出版された本ではない。「そのうちに・・」と思っているうちに時がすぎ、読む機会を失っていた本だ。『二十年目のインドネシア』(倉沢愛子草思社)は、元貧乏留学生が在ジャカルタ日本大使館に勤務する居心地の悪さ、もどかしさが全体を貫いている。おおむねおもしろいし、資料になる記述もある。この著者の他の本もいままで興味深く読んできたのだが、どうしても気になる部分が1点だけある。
 『時間の旅 空間の旅』(加藤剛、めこん)や、ほかのアジア研究者たちの著作にも共通する部分が多い「良心的知識人」的発言だ。
 倉沢は、「女中という語は、日本では死語だから使うべきではない」と書いているが、「死語だから使うな」という理屈がわからない。「運転手さん」という表現もひっかかる。「学者さん」「大使さん」「記者さん」などとは言わないのに、なぜ運転手には「さん」をつけなければいけないのか。見下していると思われたくないから、見下している存在にわざわざ敬語をつけて表現しているわけだ。差別していませんよという証明のために、「良識人」はこういう表現を好む。逆説的に言えば、こういう「さん」や、「〇〇の方」(例えば、「韓国人」と言わずに「韓国の方々」)という表現がつくと、「私はこういう人たちを、実は見下していますが、表向きは公正な人間のふりをしないといけないので、機械的に敬語を使っています」という証明になる。
 この本にも、インドネシア在住日本人批判が出てくるが、あまり説得力をもたない。日本のインドネシア研究者は、望んでインドネシアに来たのであり、インドネシア語ができる。インドネシア人と金銭的関係は弱く、日本からの指令も少なく、ノルマや目標を提示されるわけでもない。インドネシア人を部下に持つ雇用関係も少ない。インドネシアでの研究が失敗しても、例えば数億円や数十億円の損害を被るわけでもない。研究者にとって、基本的にすべてのインドネシア人は情報を与えてくれる存在なのだ。
 そういう気楽な立場の人間が、会社の突然の辞令で住むことになってしまった日本人駐在員に、「インドネシア人と積極的につきあうべきだ」などといっても、あまり説得力がない。その発言は正しいし、お気楽な立場の私もそう思うのだが、駐在員という立場とはあまりに違うから、駐在員の心には届かないのだ。正論が空回りしているだけだ。
 話はまったく変わる。先日、古本屋で『タイ国の花ヨメさん』(江口法子、白川書院)という本を見つけた。1970年の15日間のタイ旅行を、1972年に出版した。文体が森村桂風なのは、やはり時代的影響だろう。確信はまったくないのだが、もしかすると、日本人がタイ料理の作り方を書いた文章が載っている初めての本かもしれない。バスの車掌が持っている円筒形のコイン&キップ入れもイラストで紹介していることなど、よく調べて、細かい話題を書いているせいで、間違いもまた多い。だから、再刊運動のおせっかいをやるほどの資料的価値はない。
 ということで、お願いがあります。1970年代半ばころまでの東南アジアの旅行ガイドブックをお持ちの方で、もう要らないという方は、ゆずってください。ガイドブックは古くなると資料としての価値が上がるのです。交通公社の観光文化資料館で問い合わせたら、「古いガイドブックは、置き場所場ないので、捨てました」といわれた。もったいない。 (1996)
付記:その後、韓国の住まいに関する名著が2冊出た。『2002年ソウルスタイル 李さん一家の素顔の暮らし』(朝倉敏夫・佐藤浩司編著、千里文化財団)は、基本的に国立民族博物館でのみ入手できる資料だったが、その簡易版であり続編として、『普通の生活 2002年ソウルスタイルその後 李さん一家の3200点』(佐藤浩司・山下里加、INAX出版)が出版された。
そう言えば、アジア研究者による日本企業と駐在員批判というのは、上記の文章を書いた時代で終わったような気がする。1974年の田中角栄の東南アジア訪問時におこった反日運動の反省から、日本企業は商売のやり方などかなり気にするようになった。その成果で研究者たちが批判しなくなったのではなく、研究者の調査旅行が駐在員の生活レベルとあまり変わらないくらい豊かになったからではないだろうか。駐在員が一戸建ての邸宅に住むという生活は、場所によって差はあるが、80年代後半あたりには消えて、安全上の問題や快適さを求めてマンション住まいに変わった。
図々しくも、ガイドブックをくださいと書いたら、「東南アジアの旅」1967年春季号(パン・ニューズ・インターナショナル)と、1969年初版で72年4版の『東南アジアの旅』(パン・ニューズ・インターナショナル)の2冊を送ってくださった親切な方がいた。千葉県にお住まいのその方は、今はこのアジア雑語林は読んでいないかもしれませんが、その節は、ありがとうございました。御親切に甘えて、無料でいただいたのですが、やはり図々しかったなと反省していますが、連絡先を失くしてしまったので改めてお礼ができない。