778話 インドシナ・思いつき散歩  第27回


 民族学博物館 前編

 その日は早朝まで小雨が降り続き、またいつ雨が降りだしてもおかしくないような空模様だった。10月末のハノイは、9月末の東京のような気候で、東南アジアの首都ではもっとも涼しい。この季節、たまらなく暑い日はない。日によっては、「寒い」と感じることもあり、バッグからウィンドブレーカーを取り出して着ても、寒くてたまらないのがこの日だった。
 民族学博物館へ行こうと考えた。ちょっと郊外にあるので、歩いていけば3時間と踏んだ。地図にものさしをあてると、直線距離で6キロくらいだから、散歩しながらだと3時間、途中休憩や道草を食えばもっとかかるが、毎日6時に起きているから、朝食後すぐに歩き出せば、昼前には着くだろう。
 ホテルから北西に歩き、ハノイ駅の北側で踏切を渡ったところで地図を見ると、レーニン公園のそばに北朝鮮大使館があるとわかったので、ちょっと寄り道したくなった。建物はすぐに見つかったが、だからどうということもないが、門に警官が立っているというのが、ほかの大使館とちがうところか。壁の掲示板には広報資料が貼ってあり、あの指導者の写真が出ている記事が貼ってある。地図を見れば、北朝鮮大使館の隣りは、なぜかタイ大使館なのだが、廃墟のように汚れている。門の張り紙で、すでに移転したことを知った。このあたりは大使館地区で、フランス時代の建築に興味のある人には興味深い場所だろうが、私の好きな場所ではない。
 北朝鮮大使館観光以後、それほどおもしろそうな場所はなく、休憩場所と考えていたロッテセンター・ハノイが見えてきた。ハノイで2番目に高いビルだ。地上65階、高さ267メートル。スーパーマーケット、住宅、オフィススペース、デパートとホテルで構成している。「おお、こういう配置なのか」と気がついたのは、この超高層ビルのすぐ下、道路を隔ててとなりに日本大使館があり、日本を見下す(みおろす、みくだす)位置になる。そのことに関してネット書き込みはないので、気にしている日本人は少ないのだろう。ロッテは「偶然だ」というかもしれないが、偶然というにはあまりに近すぎる。もしこれが逆で、日本企業のビルが韓国大使館を見下す位置にそびえていたら、さて、韓国人はどういう反応を示すだろうかとふと考えた。
 ロッテマート(スーパーマーケット)やロッテデパートを見学して、さてこれからどういうルートで民族学博物館に行こうか、どこかに寄り道したくなるおもしろい場所はあるだろうかと考え、スーパー前の花壇の縁にショルダーバッグを置き、地図を取り出した。もしもここに座り込んで地図を見ていたら、きっと警備員が来るだろうと思ったから、立ったまま地図を見たのだが、地図を広げてわずか30秒で背広の男が速足で近寄ってきた。
 「Because of Lotte’s law , You can’t put bag here.」
 おお、ロッテ法ねえ。韓国人に使われているベトナム人に、「ロッテは法律も持っているんだ」などと絡んでもしょうがない。ヘタな英語をあげつらうほど、私は英語ができるわけではない。まあ、ロッテセンターというのは、そういう施設なのだと理解するのが順当なのだろう。でもさあ、スーパーの入り口近くの花壇の縁にショルダーバッグを置いて、地図を取り出しただけだよ。弁当を広げて宴会をやっていたわけじゃないのにねえ。
 そこから30分も歩かずに、民族学博物館に着いた。想像していたとおり、ホテルを出てから3時間くらいかかった。一応展示物を見て、「まあまあ、こんなもんかな」と思っていたのだが、庭園の少数民族の住宅群はおもしろいかもしれないと思った。庭を歩こうとしたとき、重く垂れこめていた雲から水滴が落ち始め、風雨となった。ひと休みしようと食堂に入った。客が食べているものを見たら、まともなレストランのようで、昼食にすることにした。日本の博物館ではなかなかないことだと思うのだが、テラス席もあるここのレストランは、ちゃんとした料理を出している。私は春巻きなどを食べたのだが、料金も思ったほど高くなかった。大阪の国立民族学博物館の食堂よりも、よほどいい。
 小雨になったので、傘を差しながら庭に出た、少数民族の住宅群がある。チェム族、ベト族、エデ族、バナ族、タイー族など11の住宅がある。これらの住宅は、その民族の人がここに来て新たに建てたり、その民族が住んでいる村に建っていた屋敷を移築したもので、内部に入って見物できるのも魅力だ。室内には建築中のもようがわかるビデオ映像もあって、その全部を見た。
 ハノイの博物館については回を改めて書くが、この民族学博物館はトップクラスのおもしろさだった。その理由は、庭の住宅群を見ていてわかった。
 それぞれの住宅は、フランス政府など外国政府がスポンサーになって移築、再現している。1軒に1国の支援がついているのだ。カネだけ出して、あとは黙っているような人たちではないので、完成まで見守ったのだろうと想像できる。建築中の映像を見ると、伝統的な工法で、伝統的な道具を使って、ここに建築したのだとわかる。それが外国人の趣味で、だから外国人である私にも余計に興味深い。ここは異文化の空気に満ちていておもしろい。太古のベトナムなどといった考古学的資料とか、ベトナム共産党賛美の展示物に拒否反応を起こした外国人も、民族学博物館では政治を離れて「異文化感覚」を堪能できる。しかし、ベトナムの多数派であるキン族の人々が、少数民族の住宅に強い興味を持つかどうかは別問題だろうと思う。
http://worldtravelog.net/2013/08/ethnic-museum-hanoi/