本を札束で購入
1998年の秋、久しぶりにジャカルタにいた。インドネシアにはたびたび来ていたが、もっぱらバリ島に行っていた。ジャカルタに来るのは、おそらく10年ぶりくらいだろうか。ジャカルタに来た目的はふたつある。ひとつは、のちに『東南アジアの三輪車』としてまとまる本の取材で、ジャカルタの三輪自転車や三輪自動車を探し、写真に撮り、話を聞いていた。
三輪車の時代背景として、ジャカルタの交通史を調べないといけないので、書店で本を探し、入手できない専門書は知人の研究者に頼んでコピーをもらった。その時代、つまり20世紀末でも、インドネシアの地方都市では馬車が実用になっていて、市場の外側では馬車が客待ちしていた。以前から、インドネシアは興味深い国だとは思っていたが、国土が広すぎて、島が多すぎて、イメージがまとまらず、旅行者としてはそれでいいのだが、何度旅しても旅行記程度のものしか書けないので、ライターとしては困る。取材範囲をぐっとせばめて、ジャカルタの本はどうだ。ジャカルタの歴史を踏まえた『ジャカルタの好奇心』のような雑学本が書けるかどうか調べてみようというのが、ジャカルタに来たふたつめの理由だ。
ジャカルタは、世界の首都の中では特異な都市だ。首都は、ブラジルのブラジリアなどを例外にすれば、程度の差はあれ観光地でもある。ワシントンDCでさえ、ホワイトハウスや博物館・美術館もある観光地でもある。ジャカルタはどうかといえば、インドネシアツアーはバリ島を中心にするのが普通だが、日程に「ジャカルタ市内観光」は入っているものは少ない。外国人にとってジャカルタはビジネスの街なので、駐在員向けの資料はあるが、「るるぶ」はない。「地球の歩き方」には『インドネシア』と『バリ島』、『ジャワ島』はあるが、首都であるのに『ジャカルタ』はない。私向きの資料は、『ジャカルタ路地裏フィールドノート』(2001)など倉沢愛子さんの本くらいだが、1998年の時点ではこの本はまだ出版されていない。
こういうことはすでに感じていたが、本腰を入れて調べたことがないので、この際、散歩と資料集めをやってみようと思ったのである。
1998年といえば、経済に詳しい人なら、「アジア通貨危機のころ」だとすぐわかるだろう。1997年にタイを発生源とした通貨危機で、それがどのようなものだったかを簡単に説明するのは面倒なので、自分で調べてください。わかりやすく言えば、タイやインドネシアや韓国の通貨が急激に値下がりした事件だ。タイでは1ドル20バーツ台だったのが、突然40バーツ台になった。インドネシアでは、1997年に1000ルピアが43.5円だったのに、98年には13.5円になった(現在は7.6円)。つまり、ルピアの価値が3分の1以下になったのだ。輸入図書は輸入当時の値段がついたままだから、外貨を両替して使う外国人には、7割引きセールになったに等しい。
というわけで、ジャカルタの大書店に買い出しに出かけた。下調べで、欲しい本が多くあることはわかっていたので、たっぷりの現金を用意した。私は屋台で食事をして、バスで移動する旅行者だから、ほとんど1000ルピア札と1万ルピア札にまとめて両替している。屋台や安飯屋で1食数千ルピア、安宿は1万ルピア以下だから、それでいいのだ。あるコネを使い、銀行よりもちょっといいレートで滞在費のほぼ総額をまとめて両替していたので、友人宅に預けておいた札束をショルダーバッグに入れて、本屋に出かけた。
オックスフォード大学出版局のものを中心に20冊ほど買った。そのリストは作ってあるのだが、アマゾンで検索すると、そのほとんどは出品ナシか、「現在入手不可」になっているから、ここでそのリストを紹介するのはやめておく。本の値段は9000ルピアから7万5000ルピアまでいろいろあって、合計は100万ルピアよりもちょっと少なかった。日本円にして、1万円ほどだが、ショルダーバッグから札束をいくつも取り出して支払った。1000円札で中古自動車を買っているような気分だ。多分、1日で買った単行本の冊数では、この日がもっとも多かったと思う。
久しぶりに、今ジャカルタ関連書を調べてみたが、日本語の本も英語の本も、バンコク関連書と比べてバラエティーに欠ける。「これは、おもしろいかも?」と思ったのは、“Jakarta: History of a Misunderstood City ”だが、残念ながら、今はこういう本を買って読むほどの好奇心は、今はない。