201話 石森章太郎の海外旅行 その2


 石森の海外旅行話を読んでいて、「旅費の不足分が200万円というのは、いくらなんでも費用のかけすぎではないか」という疑問から、今回の文章を書いてみようと思ったのである。
 日ごろ、貧乏旅行の本ばかり読んでいて、「どうすれば安く旅行できるか」ということが書いてある本を資料として読んでいるが、石森のような大名旅行のこ とはよくわからない。23歳の若者の旅と考えるとよくわからないが、売れっ子の芸能人の旅と同じようなレベルの旅だと考えたらいいのだろう。
 金銭的に、石森の旅はどんなものだろうか。
 アメリカとヨーロッパに行くという。全行程の飛行機代はわからないが、この当時、東京・ニューヨークのファーストクラスは約30万円、東京・ロンドンは 約32万円だった。ということは、アメリカ国内便やニューヨーク・ロンドンの航空運賃などを加えても、とても100万円にはならないことがわかる。
 滞在費はいくらかかるか。実際にいくらかけたかはわからないが、だいたいの目安としてどのくらいかかるのかはわかる。
 海外旅行自由化以前の唯一にして最高のガイドブックは、日本交通公社が毎年出していた『海外旅行案内』である。その本の、1958年版に「滞在費などの 査定基準」という表がある。外貨の割り当てを受けるために、「これだけ滞在費がかかるので、それに相当する外貨を持ち出したい」と申請する基準である。つ まり、この程度なら外貨も持ち出しができるという基準額の目安である。海外観光旅行というのは法律上認められていない時代なので、海外旅行というのは、基 本的に業務旅行である。次の者の1日当たりの滞在費の目安はこうなっている。
1、資本金10億円以上の会社の会長・社長およびこれらに準ずる者 27〜35ドル
2、大会社の重役およびこれに準ずる者 22〜29ドル
3、大会社の部局長、中会社の重役およびこれらに準ずる者 18〜25ドル
4、大会社の課長、中会社の部局長、小会社の重役およびこれに準ずる者 17〜23ドル
5、上記1から4までに該当しない者 15〜20ドル
 国によって物価は違うが、1日最低15ドルあれば、宿泊費・食費・交通費その他をなんとか賄えるという目安である。もちろん、遊興費やみやげ代は別である。
 売れっ子マンガ家の石森が、大会社社長並の大名旅行をすると仮定して、1日30ドルの枠で考え、旅行日数を100日とすれば、合計3000ドル。1ドル が360円時代だから、3000ドルは108万円。まあ、100万円だ。100日100万円という旅は、今日の目で見ると、それほど贅沢な旅ではない。ス イートルームに泊まって、毎食高いワインを飲みながら豪華なディナーを楽しみ、ハイヤーで移動という旅ではない。想像で言えば、現在の大会社の課長の出張 のほうが待遇がいいかもしれない。日本は貧しく、外国の物価は高かったのである。
 全航空機代が100万円。基本的な滞在費に100万円。通訳やガイド、オペラやミュージカルなどの入場料や買い物に、100万円。これが、石森章太郎23歳の初めての海外旅行だろうと、根拠もなく想像してみた。
 さて、石森が明かしていない大問題は、たんまり用意した日本円をどうやって外貨に両替したかだ。日本円から外貨に自由に両替できない時代だから、1ドル400円くらいで入手できる闇ドルを買って行ったのか、あるいはさまざまな裏の手段を用いたかはわからない。
 『外国旅行案内』から、世界の物価が多少ともわかるリストがついているから、おまけとして紹介しておこう。

物価が高い国・・・アメリカ、フランス、スイス、イタリア、ベルギー、イギリス、ギリシャ、アルゼンチン、インドネシア、フィリピン。
やや物価が高い国・・ドイツ、スウェーデン、エジプト、ポルトガル、オランダ、ブラジル。
物価の安い国・・・オーストリア、スペイン、ノルウェーデンマーク
 インドネシアが「物価の高い国」に入っているのは、ホテル代がドル払いで、しかも異常に高額に設定してあるせいだ。フィリピンに関しては、事情がよくわからない。