22話 「お世話になりました」


 宮脇俊三の鉄道旅行記を何冊か読んだことがあるが、どれもそれほどおもしろいとは思えな かった。鉄道マニアが書く旅行記ならば、文章の随所に鉄道知識がちりばめられていると期待したのだが、鉄道マニアでなくても書けそうな普通の鉄道旅行体験 記だった。私が期待したのは、その鉄道の目的や、開通によって沿線の社会がどう変わったのかといった社会的なことや、機関車や客車の来歴といった鉄道マニ アならではの情報だった。あるいは、ポール・セロ−の作品の、例えば『中国鉄道大旅行』(文藝春秋)のように、鉄道そのものの情報はなくても、独特のアク とユーモアがあれば、それはそれで読み物として楽しめるのだが……。
 彼の文章が私の期待するようなものではなかったから、一般の雑誌に掲載され、単行本が売れたのだろうが、私にとっては数冊読んだら「あとはいいや」という気分だった。
 その宮脇氏に会うことになった。『アフリカの満月』(旅行人、2000年)がJTBの紀行文学大賞・奨励賞に選ばれ、授賞式に行ったときのことだ。式の まえに控え室で待機していると、賞の選考委員のひとりである宮脇氏が部屋に入ってきた。顔は写真で知っていた。体調がかなり悪いらしく、よろよろと歩いて きた。受賞者としては、一応ご挨拶しなければいけないだろう。
「前川健一です」
「ああ、前川さん、いつぞやは大変お世話になりました」
 そのことばの意味が、まるでわからない。会ったこともないのだから、お世話などした記憶がないのだ。私を、誰かほかの人と勘違いしているのだろうか。なんと言葉をかえしていいものやら考えあぐんでいた。
「あなたが、むかしお書きになったアフリカのガイドブックねえ……」
「はい、『東アフリカ』ですね」
「ええ、あれを持ってケニアに行ったんですよ。当時はほかにガイドブックがまったくなくてねえ、ほんとにお世話になりましたよ」
 『東アフリカ』は1983年に出版した本だ。ケニアでその本の取材をしているようすを『アフリカの満月』に少し書いた。
「前川さんにおわびしなければいけないと思うんですが、奨励賞は新人に贈る賞なんですが、それをベテランの前川さんに贈るという失礼なことになって、申し訳ないと思います。このことは、授賞式でもはっきりといいます」
 授賞式の選評で、その言葉を添えて『アフリカの満月』を紹介してくださった。どうやら、私の本を強く推薦してくださったのが宮脇氏らしいと気がついた。
 あれから2年後に、新聞で宮脇氏の訃報を見つけたとき、授賞式のことを思い出した。あのとき、すでに「体の具合が悪くて、もう原稿は書けなくなりました」と寂しそうに言っていた。その弱々しい口調が耳に残る。