45話 本は貸したくない


 手持ちの資料が誰かの役に立つものなら、何冊でも貸してあげたいとは思うものの、その本 が帰ってこないのではないかという不安があって、ほとんど貸したことがない。 ある日、まったく知らない人から自宅に電話があった。出版社で私の電話番号 を聞いたらしい。その人はフィリピンの食文化を調べているそうで、私の本のなかで参考資料として紹介している本がどうにも入手できないので、ぜひ貸してほ しいという用件だった。
 その本は、1976年にフィリピンで出版された『フィリピンの食文化』という英語の本で、私は80年代なかばにバンコクの本屋で買った。まだバーツがい まのように安くなっていなかったので、日本円にすると1万円ほどもした。料理の作り方を説明した本はいくらも出版されているが、歴史もふまえて食文化全般 を書いた本は、中国やフランスなどを除くとめったにない。だからこそ、タイでの生活費をいっそう切り詰める覚悟でその本を買ったのである。
 その本が、安く、しかも内容に乏しいというのなら、貸しても、あるいはあげてもいいのだが、私にとって幸運にも資料価値の高い本だった。だから、貸した くはなかった。その人は私の意向をよく理解してくれて、しつこく食い下がることもなく、だからこそ気の毒になったのだが、情に負ければ本が消えるかもしれ ない。心を鬼にして、「ごめんなさい。お貸しできないのです」といい続けた。
 私にも前科がある。
 もう20年以上まえのことになるが、ある日私の本棚の「未読コーナー」に積んである本のなかからおもしろそうな本を探していたら、アラブ人が書いたアラ ブ問題の本があった。「未読コーナー」というのは、買ってきた本をとりあえず置いておく場所で、ある本を読みおえると、そこから次の本を探す。だから、優 先順位は買った順ではなく、その時点での私の関心の高い順である。そうなると、「読みたい」と思って買った本でも、順序がどんどん後回しになり、何カ月も 読まれないまま放置され、それが何年にもなることがある。経済効率からいっても、こうした「不良在庫」は極力減らしたいとは思うものの、買ったときの関心 と読みたいときの関心が一致しないと、どうしても未読のままになってしまう本がでてしまう。
 アラブのその本も、いつからか棚にあり、いつ買ったのかも忘れていた。読み始めればおもしろく、一気に読んだ。それから数日して、アラブ問題に強い関心をもっている友人に会ったので、内容を紹介して、「読んだ?」とたずねた。
「それ、私が貸した本じゃない!」
 彼女は、憮然としていった。穴があったら入りたいというのは、こういう心境だ。それ以後、できる限り本は借りないと決めた。どうしても入手できない本は、貸してもらうこともあるが、その場合はすぐに読むか、あるいはコピーして数日で返却するように心がけている。
 ただし、本のコピーというのも問題だ。厚い本をコピーすると、ノド(本が綴じてある内側のこと)を強く押しつけることになるので、本が痛みやすい。とく にアジアの本の場合は、ただでさえ製本に問題があるから、コピーしたとたん本がバラバラになってしまうこともある。そういう悲劇を生まないために、ファッ クスを買い換えるさいに、ハンドコピーつきの機種を購入したのだが、私の技術に問題があるのか、ハンドコピーは使いものにならない。
 本はカネと同じように、「貸すなら、あげたと同じだと思え」と諦めないと、借りた人の人間性を疑うことになる。でも、疑いたくなるほど、だらしない人が多いよね。