559話 台湾・餃の国紀行 20

 台湾雑話  その1


 今回から、スタイルをがらりと変える。これからしばらく、台湾に関する雑話を続ける。前半はなんでも雑話、後半は食文化雑話としたのは、いままで「餃の国紀行」19回分の文章を書いているうちに、思い出したことや新たに手に入れた情報を加筆したくなったからだ。1回分で紹介するには短い小ネタをまとめた、大規模増補版の大放出だ。
●台湾をよく知らない人のために、まずカネにまつわる話をしておこう。今回私は、シンガポール航空LCCのScoot(スクート)という航空会社を使った。理由はただ一つ、安いからだ。手元にあるメモによれば、成田→台湾・桃園が1万1540円。帰路の台湾・桃園→成田は8540円。税金・手数料その他を合計して、2万5063円。かつては、安い航空券はごく短期間の旅行にのみ有効だったが、LCCの登場で、ひとりでも、ひと月の旅でも、こういう安い航空券が入手できることになった。
 旅の費用は、総支出を滞在日数で割ると、1日約5000円強だった。私は美術品や骨とう品やブランド品には興味はなく、本とDVDくらいしか買わない。高い店で食事もしないし酒も飲まないから、この程度の費用で済む。宿泊費は平均800元、食費や交通費を合わせても普段は500元くらいだから、合計すれば1300元(約4300円)くらい。西洋人バックパッカーのように、ドミトリーに泊まって、宿でパンとインスタントコーヒーなど、安いものしか食べないという旅だと1日3000〜4000円程度で済むかもしれない。
●私が泊るようなレベルの安宿では、入口に「休息」「住宿」という表示がある。翻訳すれば、「ご休憩」に「ご宿泊」である。安宿はラブホテルでもあるのだが、だからといって、特別の施設や装飾があるわけではない。その昔、台中の安宿で経営者のおばさんと仲良くなり、ロビーで日本時代の生活の話などを聞いていたのだが、左目は宿に出入りするカップルの姿を眺めていたことを思い出した。
●台湾の観光努力はなかなかのものだと思う。入国の時、イミグレーションのブースがあいているのに係官が来なくて、1時間待たされたことを除けば、何のトラブルもない。考えてみれば、出入国管理というのは、旅行者が増えれば忙しくなるだけで、利益は得られない。観光立国の問題点は、観光の利益を受けられない出入国管理にあると思った。
●台湾のガイドブックとして精読した本のなかに、『図説 台湾都市物語』(後藤治:監修、王惠君・二村悟著、河出書房新社、2011)がある。その「おわりに」の部分に、こんな文章がある。「日本人の中には台湾は日本よりも遅れていると考えている人も相当数いるようだが、決してそんなことはない。こと近現代の建築物の保存に関していえば、ずっと先を行っているといってよい」。東アジアでは、中国、韓国、日本は、古い建物を壊して新しいビルにするのが好きなのだが、台湾では保存することにかなりの神経とカネを使っている。そして、保存した施設の公開が無料か、格安の料金だというのがありがたい。タイのように、タイ人料金は安く外国人からできるだけふんだくろうという二重料金制もない。例えば、台湾では故宮博物館でさえ入場無料なのに対して、タイでは王宮とエメラルド寺院の入場料が無料なのはタイ人に対してだけで、外国人からは500バーツ(500元とほぼ同じ)もふんだくる二重料金制が政策である。
●まあ、その故宮博物館(大英博物館などと並ぶ世界的な盗品美術館)には行ったことがない。あそこには、私が興味を持ちそうなものは何ひとつなさそうだから、私は街を歩く。
台北に関して言えば、街角のあちこちに地図が設置してあり、その付近の様子がわかるようになっている。四つ角には、交差するそれぞれの道路名は表示してあるので、今自分がどこにいるかわかる。日本には基本的に道路名がないから、こういう表示ができないんだと気がついた。MRT(地下鉄)には英語のアナウンスと英語の表示がある。地下道などには地名のローマ字表記や英語表記もある。バスの行き先表示にも、英語(ローマ字)表示がある。ひるがえって、日本では成田空港を発着する京成電車でも、スカイライナー以外、外国人の利用をあまり想定していない。日本の多くの場所が、外国人を受け入れることを、真剣に考えず、ただ金儲けのために、「観光立国」と叫んでいるに過ぎない。
●台湾を旅する者にとってやや不満なのは、両替所が少ないことだ。これもタイとの比較なのだが、タイでは外国人が集まるような場所には、銀行の両替ブースがあったり、バンを改造した両替車が駐車している。マレーシアには個人営業の両替商がある。台湾では基本的には日本同様、銀行で両替するシステムなので、夕方以降や休日の両替が不便だ。
●台湾の懐かしい物を集めた本を見ていたら、1990年ごろのバスの定期券の写真があった。とたんに、思い出した。そうだ、私は78年にバスの回数券を使っていたのだ。定期券も回数券もシステムは同じで、名刺ほどの紙に、車掌がハサミを入れる個所が印刷してあって、乗るたびにその個所がひとつずつなくなっていくのだった。
●台湾の資料を読んでいて戸惑うのは、時代の表記だ。現代史の話で「60年代」とあれば、即座に1960年代のことだろうと思って読んでいると何だか変で、「そうか、民国60年代ということか」とやっと気がつくことが何度もある。民国紀元というのは、中華民国が成立した1912年を元年とするもので、「西暦−1911=民国年」だから、今年は2013−1911=102で、民国102年ということになる。102年のように3桁になれば混乱しないが「75年」のように2桁だと戸惑う。どうやら、2桁は民国紀元、4桁が西暦という習慣があるようだ。もっと面倒なのは、日本語に翻訳した資料でも、民国紀元と西暦を混在しているものがあり、年号は要注意だ。
●台南の路地裏を歩いていると、自転車のおやじが鼻歌を歌いながら私を追い抜いていった。「ああ、昭和」。今の日本からは、鼻歌が消えた。ついつい鼻歌になるような、そんな流行歌がない。