564話 台湾・餃の国紀行 25

 台湾雑話 その6


●ショッピングセンターでも空港でも、至る所で「小心地滑」という表示を見かける。「掃除をしたばかりで床が滑るから、御注意ください」という意味だ。どうして床が滑るかというと、床掃除をしたからなのだが、「掃除」とは、「水浸しのボップで、床をなでること」なので、床がびしょびしょになるのだ。だから、滑りにくい床材を使い、モップの水を絞って掃除すれば、こういう注意表示をしなくてもいいと思うのだが。
●「泰式」という看板を見かけたら、ほとんどはマッサージの店で、その他はタイ料理店だ。「泰式」というのが、従業員の国籍を含めてどれだけ「タイ式」なのか不明だが、どういう種類のものであれ、マッサージ店はよく目につく。タイでも同様なのだが、マッサージ店が増える理由の一つは、小額の投資で開業できるからだろう。脚マッサージなら、マッサージ師(資格の有無は問われないと思う)と椅子があれば、すぐにも開業できる。そこで、雨後のタケノコのようにマッサージ店が増えるというわけだろう。
●男子小用便器の多くは、人が便器のすぐ前に立つと、センサーが反応して便器の上部から自動的に水が流れるようになっている。某日の某所、便器に向かい小用を始めた瞬間水が出てきて、それはいつものことなのだが、水が出る部分がひしゃげていて、まるで散水車のごとき勢いで水を撒き散らし始めたのだが、小用中ではうまく回避することもままならず、やっとの思いで隣の便器に移動して用を足した。ジッパーを上げれば、まるで大量におもらししたごとく股間が濡れているのに気づき、薄い色のズボンをはいているものだから、濡れている状態は特によく見えて恥ずかしいのだが、だからといっていつまでもトイレに籠っているわけにもいかず、居直って、台湾の青空のもとを歩きだした。
台湾には、そんな日もある。
●35年前にも台北龍山寺に行ったが、寺そのものの記憶はない。しかし、寺の裏側にあった公衆便所ははっきりと覚えている。小便器の下にポリタンクが設置されていて尿を集めるシステムになっていた。おそらく肥料にしようというのだろうが、そういうトイレに出会ったのはそこが最初にして最後だ。有名な観光施設よりも、トイレのことをよく覚えているのが私の旅だ。世界遺産なんか、どうでもいい。私の趣味ではない。
●台湾もまた世界の多くの国と同じように、使用済みトイレットペーパーは便器脇の屑かごに入れることになっていて、流してはいけない国だ。そういう事実を伝える記事は多いが、考察した人は、台湾で日本語教師をしている人が書いている「濱屋方子の台湾日記」くらいだろうか。
http://taiwanyuri.blog.fc2.com/category13-1.html
 こういう国では、流せない理由を、排水管が細く、紙が水に溶けないからだと説明されることが多いが、この説には大いに疑問がある。まず、排水管が欧米日本に比べてどれだけ細いのか調べて、報告した例を私は知らない。台湾の場合、駅などのトイレの入り口に、「この紙は溶けるので、流せます」と書いてあるトイレットペーパーの販売機が設置してある。溶けるトイレットペーパーは、あるのだ。だから、こう考えた方がいい。台湾人が太い管を製造できないわけでなく、設置工事をできないわけではないだろう。トイレに流せる紙の製造ができないわけでもない。ということは、「流す」ことにすれば、できるのだ。それが可能な技術力と経済力はある。それなのに、近代的なショッピングセンターでも桃園国際空港でさえも、トイレの個室に屑かごを置いて、「使用済みトイレットペーパーはここに」というシステムにしているのは、それが台湾人の好みだからと考えた方がいい。「流す設備を作る能力や経済力がない」のではなく、そもそも流す気がないのだ。汚れたトイレットペーパーを屑かごに入れる方が好きなのだと理解すると、物事はわかりやすい。
 この問題に対して、上に紹介した「濱屋方子の台湾日記」では、台湾人は水に溶けるトイレットペーパーよりも強靭な紙を好むので、紙を流すシステムに移行しないのでという結論を導き出している。しかし、一般的にヨーロッパのトイレットペーパーは、日本製の物に比べて厚いか堅い物が多い。かつて、大英博物館で出会ったトイレットペーパーは、まるでトレーシングペーパーのようで、私は航空便箋として使っていたものもある。それくらい丈夫な紙だ。きっと台湾人も好むと思う。つまり、台湾人好みの強靭な紙でも、流せる紙は作れるのだ。
『台湾人には、ご用心!』(酒井亨、三五館、2011)でも、トイレの紙クズ問題を取り上げているが、台湾人が紙を流さない理由は、「水道の水圧が低いから」だとしている。しかし、水を便器のタンクに溜めてから流すので、水道の水圧は関係ないはずだ。
だから、この問題は、「過去にはさまざまな理由があったにせよ、現時点では、台湾人は汚物つきのトイレットペーパーを屑かごに入れるのが大好きなのだ」と考えるしかない。それ以外の結論が、思いつかないのだ。
 この調査のため、トイレに行ったら個室の屑かごを覗く習慣になった。私が調べたなかで、屑かごがなかったのは、新光三越デパートだけだ。あ、そうだ。超高層ビル台北101では、89階のトイレでおしっこをしてみたが(まるで、マーキングだ)、個室を覗くのを忘れた。だから、世界有数の超高層ビルでも、使用済みのトイレットペーパーは籠に入れるのかどうかは不明。
●『小沢昭一 僕のハーモニカ昭和史』(小沢昭一朝日新聞出版、2011)を読んでいたら、著者が軍国少年だった時代に聴いた「海行かば」の話が出てきた。歌詞の説明を読んでいたら、急に35年前の台湾を思い出した。蘭嶼島から緑島に向かう小さな船の甲板だった。船で働くふたりの男が、私が日本人だとわかったとたんに、「こういう歌は、知っているか?」と言って歌いだしたのが、「海行かば」だった。聴いたことがある歌だが、歌詞は知らない。日本語の歌詞を、台湾人に教わったあの海を、寒い日本で本を読んでいて思い出した。