562話 台湾・餃の国紀行 23

 台湾雑話 その4


●日曜日、高雄の公園に行った。入り口付近で、クレテックタバコ(丁子入りタバコ)の匂いがした。「こんなところに、インドネシア人?」と思ってあたりを見回すと、車座になって宴会をやっている男たちのグループがいくつもある。その半分くらいは、足元に酒瓶が何本も散らばっている。タバコの吸い殻と空き箱がちらかっている。近づいて、耳を澄ませば、インドネシア語だとわかる。公園のなかの門の前で、記念写真を撮っているグループがいた。カメラを構えた男が、「Selamat datang」(ようこそ)と叫んだ。こんなに公園を汚したら、民族摩擦の種になりそうだが、公園の落ち葉を集めている女の会話も、インドネシア語だった。それ以後、気をつけて街を歩くと、「RM Indonesia」という看板もあった。Rumah  Makanの略で、食堂のことだ。ベトナム語の表示やベトナム食堂(小さな飯屋だ)もある。
 2011年の資料だが、台湾在住外国人労働者(総数42万人)を国籍別に見れば、インドネシア人17万人、ベトナム人9万人、フィリピン人8万人がトップ3だから、私の印象と一致する。インドネシア人の男は産業労働者、女は介護従事者が多いそうだ。インターネットで調べると、台湾のインドネシア人関連の記事はいくらでも見つかる。
台北のマックでコーヒーを飲んでいたら、スーツ姿の男3人がガサガサ・ドタドタとあわただしく店に入ってきて、大声でしゃべりだし、私の頭の上を「ヘンボゴ?」、「ヘンボゴ!!」という単語が飛び交った。韓国人は、hamburgerをこう発音する。
●白いセーラー服姿の若い女が、スクーターで裏町を走り抜けていった。台湾でも、セーラー服が制服の学校があるが、これも学校の制服か? 翌日、同じようなセーラー服を着た店員が、お茶のスタンドで働いていた。ピンクのセーラー服で、スクーターに乗っている女も見た。あれは、ビンロウ屋の女の子だろうか。
https://www.google.co.jp/search?q=%E3%83%93%E3%83%B3%E3%83%AD%E3%82%A6%E5%B1%8B&tbm=isch&tbo=u&source=univ&sa=X&ei=YqZ3Ut2VLMy6kQXGmoHAAQ&ved=0CDkQsAQ&biw=1219&bih=733
台北からバスで30分くらいのところにある三峡(サンシャー)という街に行った。古い街をいささか整備しすぎたきらいがある。古い通りが映画のセットのようにはなっているが、私が行った日は雨が降っていたので観光客が少なく、静かだった。三峡史文物館に行ったら、1階で素人画家の3人展と言うのをやっていて、その会場で老人が話しかけてきた。受付けで私が署名したのを見て、日本人が来たとわかり、懐かしくなって話しかけたという。小学校4年で終戦ですというので、しばらく台湾の言語事情の雑談をした。中学の入学試験といっても、華語ができないから日本語で試験を受けました。プラスチックの会社に入り、日本の技術を学ばないといけないので、日本語を勉強しなおして、日本にもしばしば行きました。そんな話をしつつ、これが私の絵ですと、展示している絵を指さした。正直言って、うまいとは思えない。「会社を定年になって、絵を描いていられる時代になって、やっと絵筆を持てたんです。実は父は画家でしてね、その絵の模写をやりたくて、絵を始めたんです」。その父の名は、陳澄波。台湾人として帝展の絵画部門に初入選した人物で、戦後2.28事件で虐殺され、多くの絵もどこかに消えた。そういう話を聞いた。そのときはどういう人物か知らなかったが、日本語のネットでも記事が多くある有名人だった。『台湾を描いた画家たち』(森美根子、産経新聞出版、2010)にも、陳澄波の章がある。
https://www.google.co.jp/search?q=%E9%99%B3%E6%BE%84%E6%B3%A2&tbm=isch&tbo=u&source=univ&sa=X&ei=l6t3UrLqOofKkgWT2YGgDw&ved=0CCkQsAQ&biw=1219&bih=733
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●珍しく晴れたので、高い場所から台北を見てみたいと思い、超高層ビル台北101(509m)に上った。入場券を売る5階から展望台がある89階まで、わずか37秒で昇る世界最速の高速エレベーターが自慢なのだが、上るのに1時間、降りるのにも1時間かかった。いくらエレベーターの速度が速くても、台数が少ないと、客をいつまでも待たせることになる。このビルは、台湾最高の「おのぼりさんの場所」なので、高級品店が並ぶ商店街も、田舎から出てきた団体客の大騒ぎで、高級感はない。89階が展望台。88階に降りられるので、何かあるのかと好奇心が刺激されるが、急に俗っぽくなって、ただの土産物屋しかない。91階は、エンパイア・ステートビルのように外に出られるベランダ展望台なので、階段を上る価値があるのだが、それを知らない入場者が多いようだ。
台北101の展望台入場料は、台湾の物価からすれば破格の500元(1650円)なのだが、やはり高い場所から台北を眺める価値はある。この超高層ビルのすぐ南東に山があることは、都市図ではわからないことだ。市政府駅の北の方、室内競技場建設地の北に広がる空間が気になって、のちに地図で確認すると、国鉄用地だとわかった。いずれ再開発されるだろう。
台北101近くの「四四南村」跡に行った。大陸から逃れてきた国民党兵士とその家族が住んだ地区を眷村(けんそん)といい、この「四四南村」は日本軍が使っていた倉庫を住宅として使っていた場所だ。いまは記念館や公民館などとして、かつての住まいが保存され、利用されている。記念館の説明を読むと、国民党兵士の二世は私の世代で、戦後生まれた者が、本省人の子として生まれるか、外省人の子として生まれるか、子供は親を選べないのだから、ここに復元されている昔の家の子供が、私であったかもしれないと思う。それほど親近感のある住宅なのであり、家の中の雰囲気なのである。私はどこの国に行っても、「もし自分がこの国でうまれたら・・・」と、現代史を学びながら考える。記念館の説明に、外省人の子供たちはうまく仕事に就けず悪の道に入る者もいて・・・というようなことが書いてあった。台湾ヤクザ誕生の一因である。