713話 台湾・餃の国紀行 2015 第18話

 正月映画


 「正月は映画館の稼ぎ時」という日本の常識が台湾でも通用するだろうと思い、西門町の映画館にいった。映画館に人がいれば、食堂も開いているという読みで、食事を兼ねて出かけたのである。私が見たいと思った映画は売り切れ状態で、キップが買えるのは深夜2時50分からの回ということで、映画はまた出直すことにした。
 春節が終わったある日の夕方、その映画館にふたたび行ってみた。
 見たかった映画は、豬哥亮(ジュー・グーリャン)主演の「大囍臨門」(英語タイトル The Wonderful Wedding)だ。この映画は、テレビのスポットコマーシャルで見た以外何も知らない。そのCMは、これ。日本では一般公開もテレビ放送もされそうにない映画だ。映画祭を企画するようなたぐいの人は、芸術性などないこの手の映画を相手にしない。
https://www.youtube.com/watch?v=wlJL7U_iybs
 コメディーということはわかる。長いセリフのある映画よりはいいが、コメディーには問題もある。アメリカの古典的ドタバタコメディーのような、パイを投あうごとき映画ならわかりやすいが、私は楽しめない。シャレなど言葉の喜劇だと、中国語ができない私には理解できない。楽しめないということだ。
 そういう危惧があったのだが、この映画はたっぷり楽しめた。中国語と英語の字幕が2段でついているが、英語字幕は小さくて、文字がよく読めない。読めたとしても、短時間で読むなら、英語字幕よりも中国語字幕の方がわかりやすい。
 帰国後、この映画のことをネットで調べたが、日本語の情報はなく、中国語のものを判読した結果も含めて、ちょっと説明する。
 この映画は、台湾と中国のカルチャーギャップを笑いにしたものだ。台湾南部、高雄の里長(町長とでも訳しておくか)の娘が、中国の大企業の社長のバカ息子と結婚したいということで、そのバカ息子が恋人の両親に挨拶をしに中国から台湾にやって来るところから、物語が本格的に始まる。娘の父李金爽は常に台湾語でしゃべりまくり、バカ息子の高飛は北京語で話す。ここで、言葉の行き違いが起こる。例えば、「彼は『満族』(満州族)の中国人です」と娘が紹介すると、「何? 何に満足なんだ」と、私にもわかるボケだ。主演の豬哥亮は、高雄出身の有名コメディアン。バカ息子役の李東学は中国の俳優だから、言葉の問題は現実そのままで、メイキング・ビデオを見ると、休憩中もふたりの役者の会話は言葉がうまく通じないことで笑いが起きていた。
 中国人のバカ息子と台湾語中心の男の会話は、何度も話が通じなくて会話が不自由な場面があるのだが、ある語が通じないと、台湾人の男はポポモフォ(注音記号)で教えるというのも、カルチャーギャップネタで、場内爆笑。中国では中国語をローマ字で教えているが、台湾では通称「ポポモフォ」と呼ばれる注音記号を使う。こういう事実を知っていれば、外国人でも笑える。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%A8%E9%9F%B3%E7%AC%A6%E5%8F%B7
 バカ息子が恋人一家と食事をするシーンでは、半身を食べた焼き魚を裏返すと、台湾人は、「ああ、なんてことをするんだ、船が転覆する」と騒ぐ。日本にも、漁師町では魚の半身を裏返すと船の転覆をイメージさせるので、骨をとってそのまま食べるという習慣がある。
 あるいは、バカ息子が食卓を立つとき、箸を茶碗に差すと、台湾人は「ああ! 誰が死んだんだ?」。日本人には、これもわかる。
こういうギャグを出すために、娘の恋人を漢人ではなく、満州人にしたのかもしれないというのは考えすぎか。
 おかっぱ頭のコメディアン豬哥亮(ジュー・グーリャン)に関しては、2009年までの情報はここにある。
http://www.ys-consulting.com.tw/column/17101.html
 2015年の正月映画「大囍臨門」の宣伝で、彼は連日テレビ主演していたり、過去の映像が放送されていた。2014年のテレビ番組で、ガンを宣告した診断書を公開していた。彼のコントを見ていてわかったのは、タイの「タロック」と呼ばれるコントのスタイルは、猪のものとまったく同じだったことだ。ドラムがセリフの合いの手を入れ、オチを言うと、「コン、キン」というようにドラムが入る。浪花節の三味線のように、ドラムの合いの手が入るのだ。タイのコメディアンは、台湾の芸人をコピーしているのがよくわかる。
 2014年の正月映画は、豬哥亮が脇役で出演した「大稻埕」(だいとうてい、ダーダオチェン)で、DVDを買って見た。大稻埕は地名で、清朝末期から日本時代に台北の繁華街だった場所で、現在は迪化街(デイフワジェー)と呼ばれているあたり。現代の大学生が、1920年代の大稻埕にタイムスリップするという映画で、コメディータッチでありながら、政治的でもある。台湾の独立運動憲兵や、大正12(1923)年4月の「天皇」の台湾訪問も大きく取り上げている。「天皇」と「 」つきで書いたのは、のちの昭和天皇だからこのときはまだ皇太子だが、実質的には天皇の役目をしており、台湾では「天皇」として扱われたからだ。このあたりの歴史的背景は、以前紹介した「続・誰も書かなかった台湾」(鈴木明)の第一章「天皇が台湾を見た・・・」に詳しい。
 台湾の民族主義者を取り締まった治安警察法違反事件(治警事件)が起こったのは1923年で、映画ではそういった抗日運動も取り上げている。映画「KANO」は1930年前後の時代を描き、「日本人は素晴らしい」という映画になっているが、こちらはほぼ同じ時代でありながら、尊敬などされない日本人が登場する。ほぼ同じ時代の台湾を舞台にして、同じ正月映画として公開されたこの2本の比較は興味深く、さらに資料を探していたら、やはりその点の感想を書いている人がいた。比較の感想と「大稻埕」の予告編は、これを。Youtubeで、完全版を見ることもできる。
http://ameblo.jp/pourquoi/entry-11790319377.html
https://www.youtube.com/watch?v=BxSMRAQhpBU