547話 台湾・餃の国紀行 8

 台湾人とコーヒー  その1

 毎日、歩いていた。距離にすれば1日10キロほど、ときには20キロほども歩いたが、体を鍛える目的で歩いたわけではなく、好奇心のままに一日中歩いているのは昔と変わらないのだが、さすがに休憩の回数は多くなった。休憩は体の休憩であって、眼はより活躍するようになる。街や人やもろもろの事物を眺めるのが楽しい。そうやって眺め、考えたことを、これから書いていく。まずは、コーヒーの話から。
 台湾旅行中にもっとも大金を注ぎ込んだ店は、実はマクドナルドである。そう、あの、マクドナルドである。台北と高雄にいた間、ほぼ毎朝マクドナルドで朝食セットを食べ、台北では夜もコーヒーを飲みに行った。マックに行った回数は、日本ではいままでの全生涯でまだ数回しかないというのに、最近ではバンコクでもクアラルンプールでも、朝は必ずマクドナルドで新聞を読んでいる。午前中に米粒を口に入れることはめったにないので、できるならコーヒーとパンの朝食を楽しみたい。その朝食に、マックを選ぶ理由はいくつかある。
1、早朝に安く食事ができる場所は、ここかKFCくらいしかない。旅に出ると、1日をできるだけ有効に使いたくて、早起きする。6時台か、遅くとも7時台には起きて、すぐにコーヒーを飲みたいから、その時間にコーヒーが飲める場所と言えば、マックくらいしかない。
2、安いから。中級以上のホテルに行けば朝食を食べることができるが、結構な金額を要求される。私の朝食は、コーヒーとパンがあればいいのだ。台湾のマックの朝食はバーガーとコーヒーで49元。日本円で160円ほど。ファミリーマートなどのコンビニのコーヒーはもっと安く、しかし味も悪くないし、店内に椅子とテーブルもあるが、ゆっくりノートを広げたりする気にはならない。
3、マックのコーヒーが、朝食にはよく合う。コーヒー単体で飲むにしても、悪くない。台北の自称「コーヒー専門店」の高いコーヒーよりも、私の好みに合う。ただし、「うまいコーヒーを飲みたい」と思う時のコーヒーはマックのものではなく、もっと濃い、風味のしっかりしたコーヒーだ。その風味を33元のマック・コーヒーに求めるのは無理だ。
4、明るい照明と、書きものに適した椅子とテーブルがある。椅子も机もない安宿に泊まっている私には、マックは書斎だった。バンコクやクアラルンプールでは朝食はマック以外の店にも行ったのだが、台湾ではもっぱらマックだったのは、イングリッシュマフィンを使った朝食セットがあったからだ。マックのバンズは好きではないから、もしマフィンがなかったら、マックにはコーヒーを飲みに行くだけだっただろう。
5、台北と高雄では、宿のすぐ近くにマックがあった。遠いのにわざわざ行くようなことはしない。例えば台南では宿の近くにマックはないから、宿の向かいのちょっと高いがうまいコーヒー店に通った。
6、台北で通ったマックの指定席は、2階の隅、交差点を見下ろせる場所なので、ここを観測基地と決めて、毎日台湾観測をしていた。「東南アジアでは、ジャンパーを後ろ前に着たオートバイライダーが多いが、台湾ではどうだ?」などという疑問がわきあがると、コーヒーを飲みながら、眼下の交差点を眺めた。その結果、数は少ないが、台湾にもいることがわかった。そうやってずっとガラス窓の向こうを見つめているから、店内が騒がしくても、いっこうに気にならない。空を眺め(天気を考える)、新聞に目を通し、その日の行動を考えるのである。
 毎朝夕にそういうことをやっているので、台湾人とコーヒーについていつも考えていた。まずは、思考の風呂敷をぐっと広げて、東アジアと東南アジアのコーヒー史を考えてみた。ベトナムのコーヒーはフランスの影響だ。タイ、マレーシア、シンガポールのコーヒーは中国人、とくにアジアのホテルや西洋人家庭で働いていた海南人が伝えたと考えられる。あるいは、広東人かもしれない。恐ろしく濃いコーヒーに、たっぷりの砂糖と、無糖・加糖両方の練乳を入れたお汁粉のように甘いコーヒーだ。インドネシアの場合は、誰が伝えたかわからないが、トルコ式だ。コップにコーヒーの粉と砂糖を入れ、まるでインスタントコーヒーのようにお湯を注ぎ混ぜ、しばらく待って上澄み液を飲む。
 台湾と朝鮮の場合は、おそらく日本がまず伝えたのだろう。風俗営業のカフェーと喫茶店のカフェーの両方が、それぞれの地の日本時代にあった。『台湾俳句歳時記』(黄霊芝、言叢社、2003)に「台湾コーヒー」という題の短文がある、それによれば、戦時中の物不足の時代、龍眼の種を煎って粉にしたもので入れた液体を、「台湾コーヒー」と呼んでいたという。その後の台湾も韓国も、戦後の食糧難時代だからコーヒーなど問題外だった。
 60年代になり両国ともにアメリカのベトナム戦争に協力することで、国内に多くのアメリカ人が滞在することになったが、アメリカ人のコーヒー文化が両国民に大きな影響は与えなかった。韓国ではその後、インスタントコーヒーの時代が長く続き、喫茶店でもインスタントコーヒーを出していた。
 そういえば、コーヒーと性風俗が結びつくというのも、両国ともに共通している。韓国では、コーヒーの出前が売春となっている様子が映画にしばしば出てくるし、ホステスのいる喫茶店もあった(今でも、地方都市に行くとあるそうだ。韓国ドラマ「TEN 10」を見ると、江原道にホステスのいる喫茶店があることがわかる)。
 台湾の場合、70~80年代の資料を読んでいると、「咖啡廳」(コーヒー庁)なるものがあったらしいとわかる。ホステスのいる喫茶店のようなものだが、その名に反してコーヒーはなく、中国茶を出していたらしい。
 東南アジアの都市部では、甘いコーヒーがおやつのように飲まれていたのに対して(ビルマではインド人移民が多いのでチャイを飲む)、台湾や韓国ではコーヒーはあまり普及しなかった。韓国人とコーヒーという話題はそれだけで本になりそうなテーマだが、ここからは台湾のことだけを書く。
 台湾人のコーヒー現代史は、私が見つけた資料では『台湾好滋味』(光華書報雑誌社、2013)が詳しい。内容に違和感もあるのだが、この本から台湾コーヒー史をちょっと紹介してみよう。
 1950年代、西門町にあった喫茶店は、知識人や芸術家のたまり場という特別な存在だった。経済力もついてきた70年代には西門町の南美咖啡のように、自家焙煎するような喫茶店もあった。そういえば、『誰も書かなかった台湾』(鈴木明、サンケイ新聞社出版局、1974)には、すでに上島コーヒーとアートコーヒーが台北に出店しているという記述がある。私は、多分79年に、台北でサイフォンでいれたコーヒーを飲ませる喫茶店に入ったことがある。店名は覚えていないが、チェーン店ではなかった。内装からすべて、完全に日本のコーヒー専門店をコピーしたような店だった。
 台湾人にとってコーヒーがやや身近かなものになるのは、1984年以降に、マクドナルドやKFCが出店して、比較的安いコーヒーが飲めるようになってからだろう。85年には、缶コーヒーのブームがあったそうだ。ただし、現在でも、マックが街のいたる所にあるという状況ではないので、日本人と比べて台湾人は、コーヒーはまだ「よく飲むもの」にはなっていないような気がする。
 コーヒー店ブームがおこるのは、90年代末の、スターバックス出店以後の、イタリア風コーヒー専門店が多く出現してからだろう。
 「でもね」という話は、次回。