2220話 日本人の海外旅行史 5 

1952   2 引揚援護庁が第二次大戦中の日本軍の戦死者数を発表。沖縄で8万6627人、フィリピンで47万人、ビルマで16万人など、合計123万9709人。

     2 NHKが国際放送を再開し、北米・華北、華南、フィリピン、インドネシア、インドの5方向に1日1時間放送開始。 

    3 大阪商船が南米経由世界一周航路開設。

    4 サンフランシスコ平和条約発効。連合軍の占領は終わった。

    5 BOAC(英国海外航空)がロンドン・ヨハネスブルグ間に初のジェット機就航。7月には日本に飛来。

   6 日本郵船が欧州航路を再開。

   7 羽田飛行場がGHQから返還され、東京国際空港と改称。

   7 名古屋商工会議所一行が欧米の経済視察を目的に、地球一周旅行をした。これが戦後初の民間の団体海外旅行。

   2 日本ヘリコプター運送(全日空の前身)設立。

  12  27日に、戦後初のブラジル移民5家族16人が出発。29日には54人が出発。

団体移民の最後は1966年。

 東京発の航空運賃(片道,、単位米ドル)

   アメリカ西海岸  ロンドン

1952年       650 

1954             488                641

1955             488                671

1958             488                700

1960             405                675

1966             400                675

1971             370                679

出版:『外国旅行案内』(日本交通公社)。戦後最初の海外旅行ガイドで、毎年改版された。60年版からは手帳サイズの本4冊箱入りになり、77年に『世界旅行案内』も書名が変わり、82年まで出版された。

♪「バイバイ・ハワイ」(美空ひばり)/「セ・シ・ボン」(越路吹雪)/「ロンドンの街角で」(小畑実)/「ああ、モンテンルパの夜は更けて」(渡辺はま子)がヒット。映画化「モンテンルパの夜は更けて」(東野栄治郎)も同年。

映画:「いついつまでも」(監督・P.H.スローン)。日米合作。

ラジオ:「S盤アワー」(文化放送)放送開始。ビクターの洋楽を紹介する番組。

 

1953  1 早稲田大学山岳部が南米アコンカグア登頂。

   8 日本航空株式会社法により、日航の営業範囲は国際線と国内幹線のみとされた。

   8 日本テレビが開局に備えて街頭テレビを都内29か所、周辺に13か所設置。この年に、NHK日本テレビがテレビ放送開始。

   10  日本航空が正式に設立。

   11  文化服装学院創立30周年を記念して、帝国ホテルなどでディオールのファッションショー開催。

     12 東京・青山に日本初のスーパーマーケット「紀ノ国屋」開店。

出版:『巴里ひとり歩き』(高峰秀子

「黒百合の歌」(織井茂子)/「ブラジルの太鼓」(伊藤久男)/「枯葉」、「雪の降る町を」(高英男)/「ハワイの夜」(鶴田浩二)。同年の同名映画(鶴田浩二主演)の主題歌。/「アリラン」、「スペイン夜曲」(菅原都々子)

映画:「終着駅」(米・伊 ビットリオ・デシーカ)。舞台はローマ。/「キリマンジャロの雪」(米 グレゴロー・ペック)/「モンテンルパ望郷の歌」(山形勲

放送:2月にNHKがテレビ放送開始。8月には日本テレビ放送開始。 

 

1954 2 日本航空が初の国際線(サンフランシスコ)運航開始。飛行ルートは、羽田―ウエーキ(整備着陸)-ホノルルーサンフランシスコで所要31時間。機種はプロペラ機のDC6B(36人乗り)。現在は直行で約8時間。

*同年就航のスカンジナビア航空機は、羽田―ストックホルムを南周りで56時間かかった。この路線は、北極圏ルートとジェット機の利用で、11時間30分に短縮された。

      12 外務省がソビエトを訪問するレスリング選手団に旅券発行を承認。訪ソ一般旅券の第1号。

出版:『アメリカンスクール』(小島信夫

「ウスクダラ」(江梨チエミ)/「花のオランダ船」(美空ひばり

映画:「ローマの休日」(オードリー・ヘップバーン)。この映画に登場した場所が、現在に至るまで、ローマの重要な観光地になっている。/「ハワイ珍道中」(花菱アチャコ)/「少年ケニヤ

ラジオ:「L盤アワー」(ニッポン放送)。コロンビアの洋楽紹介番組。