1830話 時代の記憶 その5 トイレ

 

 私と同世代の人のほとんどは、物心ついたときの自宅のトイレは、汲み取り式だったと思う。「いや、水洗だったよ」という人は、都内中心部の近代的豪邸で育ったか、銀座のビルが自宅だったというようなごく一部の例外だろう。例え自宅が水洗トイレでも、学校など自宅以外で用を足すときは汲み取り式だったと思われる。

 資料によれば、1963年当時のトイレの水洗普及率は9.2パーセントだった。東京はそれより高いといっても、23区内のことで、しかもその中心部の区だけだった。1965年の資料では、水洗普及率が80パーセントを超えているのは千代田区中央区、港区、文京区などだけで、周辺の区である大田区、世田谷区、練馬区、北区、足立区、葛飾区、江戸川区などは20パーセント未満という普及率だ。つまり、東京とはいえ、そういう地域の区民の家の8割は、汲み取り式だったのだ。

 練馬、板橋、北3区の下水道普及率の資料がある。3区の下水道普及率が30パーセントを超えるのが、1970年代初め、50パーセントを超えるのが75年頃、80パーセントを超えるのが1980年代初めだ。世田谷区や杉並区などもそれほど変わらないようだから、1980年代の東京でも、まだバキュームカーは現役で走っていたということになる。

 全国レベルで言うと、水洗化率が50パーセントを超えるのは、1980年ごろだ。東京都全域の資料が見つからなかったが、大阪府の資料を見つけた。1980年53.1%、1986年60%、1998年頃80%を超え、2004年に90%という数字だ。

 こういう数字を見れば、1950年代生まれはもちろん、1960年代生まれでも、地域によっては1970年代でも、自宅のトイレが汲み取り式だったという記憶があるはずだ。ただし、1950年代後半から、「子供の時から、ウチは水洗だぜ」という人が急激に増えてくる。水洗トイレとは縁のなかった農村に、1950年代以降、各地に日本住宅公団の団地が続々と建設されるようになるからだ。

 鉄筋コンクリート造りの団地では、水洗トイレは当然だが、できるだけスペースを狭くするために、しゃがみ式便器をやめて腰掛式便器を採用した。したがって、団地育ちの子供は、若くして腰掛式水洗便器、ロール式トイレットペーパーが日常のものとなる。団地の学校も当然コンクリート造りだから、トイレも水洗だった。

 さて、私の体験だ。自宅はもちろん汲み取り式で、小学校・中学校ともに木造校舎で、やはり汲み取り式だった。

 中学の修学旅行前に、担任教師は腰掛式便器の使い方の説明をした。「トイレに入ったら、ドアの方を見て座る」といった説明だったと思う。そういうこと私はすでに知っていた。多分、東京のデパートなどのトイレを使ったことがあったからだと想像するのだが、当時はそういうトイレも、水洗であってもしゃがみ式が主流のはずで、私がなぜしゃがみ式を知っていたのか思い出せない。

 高校は鉄筋コンクリート造りだから、水洗だった。卒業した小学校や中学校が鉄筋校舎に建て替わるのは、1970年代のことだ。