2002話 たんなる通過点に過ぎないが その3

 このブログでいくつかのテーマで記事を書いてきた。この機会なので、それぞれのテーマに関する全体像や問題点や希望などを書いておこうと思う。

 旅行史・・・軍隊や探検隊などの団体の移動ではなく、目的地が定まった巡礼でもなく、気ままな自由旅行者が増えていくのはいつからなのか考えている。移動ではなく、旅だ。若者の旅行史を調べてみようと思ってかれこれ20年近くなる。時代をとりあえず19世紀から始めて本を読み考えてきて、そろそろそのダイジェスト版を書こうかと思い資料を山と積んだが、なかなか書き出せない。その理由の第1は、そんなテーマに関心のある人がほとんどいないからだ。観光学研究者でもバックパッカー史に手をつけていないのだから、読み手がいないテーマの文章を書いてもむなしい。それでも、手をつけようと、買い集めた本の山を眺めてため息をつき、私の教養のなさに苦しみ、手を出せない。前史として、広い分野の中世近世ヨーロッパ史を頭に入れておかないといけないだけでなく、思想史だのめんどくさい勉強もしないといけない。ワンダーフォーゲル運動にしても、ドイツ近代史を詳しく読み込まないといけないので、容易に文章化できないでいる。エマーソンの超絶主義だの、調べれば調べただけ、わからないことが増えていく。

 そういうわけで、いまだに手をつけられずにいる。

 言語・・・いくつかの西洋語や中国語や韓国語には、気楽に読める言語エッセイがあるが、そのほかの言語の本はもっぱら実用書に限られていて、一般読者も楽しめるエッセイが少ないのが残念だ。学者が書く専門的な分析や文法解説などはいらないから、美しい文章で書かれたことがのエッセイを読みたい。お手本は、『私の朝鮮語小辞典―ソウル遊学記』(長 璋吉、河出文庫ほか)のような本だ。

 トイレ・・・私が世界のトイレ資料を読んでいるのは、たったひとつの疑問が解けないからだ。水洗便所の近代的なシステムは、イギリスで生まれた。水洗式便器もイギリスで生まれた。当然ながら、腰掛式便器だ。おそらく、そのイギリスの手でインドや中東に、しゃがみ式水洗便器が生産・販売・設置が進められたのだろうが、そのあたりのいきさつがまったくわからない。明治の日本では、西洋から輸入した腰掛式便器では快適に用が足せないと不満だった男が、便器を床に埋めて、しゃばみ式にしたという例があったと、TOTOの資料にあった。そのTOTOは戦前期、しゃがみ式水洗便器を生産してアジアに輸出したのだが、それ以前の歴史が知りたいのだ。便器の文化人類学だ。

 建築・・・建築家や建築雑誌が大喜びするような「ドーダ!」建築物(どーだ、すげーだろと自慢気なオブジェのこと)には興味がない。私の興味は建築学よりも居住学に近いかもしれない。だから商業施設でも宗教施設でもなく、普通の住宅が気になる。世界の人々はどのような住生活をしているのかということが気にかかるから、1973話から4回にわたって、靴を脱いで家に入る話を書いた。建築史の本は多いが、ゴシックだのバロックだのといった解説や有名建築家の作品紹介ばかりで、人間の生活と関わる建築史の本が少ないような気がする。そんなわけで、『ドイツ人の家屋』(坂井洲二、法政大学出版会局、1998)という450ページの本を買ってある。まだ読んでいないが、ドイツ住宅史の本なのでおもしろそうだ。

そう言えば、先日のテレビで、数年前に地震被害にあったイタリアの村の映像を見たが、石積みの家が跡形もなく崩れ落ちていた。石の家は丈夫なように見えるが、レンガ積みの家と同じように、鉄筋も鉄骨も入っていないと、地震の横揺れに弱いことがよくわかった。

 ■食文化・・・食文化関連出版物のほとんどは、料理テキストと食べ歩きガイドと食味エッセイだが、最近私好みの食文化研究書が少しずつ出版されている。そういう本を何冊も買ってあり、すでに読んだ本もあるので、いずれ紹介することになるでしょう。

最近の興味は、特定地域の食文化ではなく、俯瞰して眺めた食文化だ。具体的には石毛直道さんの『食卓の文化誌』岩波書店同時代ライブラリー)のように、「口まで運ぶ道具」とか「食卓」などといったテーマで、いままで見聞きした食風景からさまざまな事例を思い出して、考えている。例えば、床に座った人たちが座卓を囲んで食事をするという風景は、日本でできたものだ。椅子文化の地域では椅子に合わせたテーブルを使う。床に座る文化地域では、食器を床に置くか、銘々膳のように個別の食卓を使う。日本では明治になって、西洋のテーブルの足を短くした座卓(ちゃぶ台)が生まれたのだ。

 したがって、韓国時代劇によく登場する座卓を囲む宴会というのは、どうも信用できない。家族団らんの食事風景というのも、新しいものだ。そういうことを調べ考えるのを楽しんでいる。食器や油脂や砂糖など、それぞれ調べてみれば興味深い事柄がいくらでも出てくる。外国の料理を日本でどう再現するかということよりも、そういう考察の方が私にはよほどおもしろい。

 

 というわけで、これからも今までと同じように、好き勝手に書いていきます。目が悪くなってきたせいで、誤字脱字に気がつかないことが多くなった。なぜか、「の」を「に」と打ってしまうのは、noをniと打ってしまうからだ。皆様の勘と寛大な心で、誤字脱字文を解読してください。