2003話 目立たないことと自己顕示欲 前編

 大学で授業をするようになって気がついたことは、「のれんに腕押し」だった。授業中に質問や意見がない。学生はノートを広げ、何か書いている。「何か」と無責任なことをいうようだが、私はあまり板書はしないので、学生は私の話を聞いて要点をノートに書いているのだろう。

 学生側からは何も発言がないから、私の話を本当に聞いているのかどうか確かめたくて、「はい、そこの君」と指名すると、それなりの意見が返ってくる。「わかりませ~ん」と言い逃れをする学生は少なく、ほかの授業で得た知識なのだろうが、西洋の学者の名や理論を展開する学生もいて、「おお、なかなか勉強しているじゃないか」と驚かされることもあった。それなのに、授業中の発言がない。私の授業がヘタだからか。そうかもしれないが、大学で教員をやっている友人知人たちに話を聞いていみると、私の授業とほとんど同じだとわかる。

 授業中、ノートをとっている以外の学生の行動は、こういうものらしい。

 1、寝ている。

 2、スマホを見ている、いじっている。

 3、飲食をしている。

 4、化粧をしている。

 5、おしゃべりをしている。

 私の授業は出席はとらないから、「いやいや授業に出る」必要はないから、上記5点の行動は基本的にはない。昼寝の場所がほかにない学生が寝ているという例はあるが、少数だ。今の時代だなと思うのは、授業中に本を読んでいる学生がいないことだ。「教師に注意されるかも」と心配するならスマホだって同じで、つまり「本など読みません」ということなのだろう。

 友人知人たちの話では、5の「おしゃべるをしている」というのは授業の邪魔になるので、注意を受ける。4の「化粧」は女子大に多いようだ。

 作家の関川夏央さんもいくつかの大学で講師をやっていたようで、その感想をエッセイで書いている。授業中おとなしいというのは、大学の偏差値と関係がないという。「おとなしい」というのは、「静かな授業」という意味ではなく、なんの質問も意見もないという意味だ。

 小学生時代から、授業中に意見を言うとか質問をすると、「あいつ、目立ちやがって」といじめられるから、なるべく目立たないようにしようと、行動をを制御しているのだと、友人が解説した。

 考えてみれば、会社の会議でも、ただ黙っていて会議終了の時間までおとなしくしていて、大過なく定年まで過ごすのがサラリーマンの規範になっているのではないのか。出ない杭は打たれない、だ。そういう空気のなかで、学校や職場で波風立てるのは、外国人か帰国子女か女だから、組織からは排除される。

 若者は、目立たないように生きるという時代なのかと思ったが、どうも違うなあという気もしてきた。