1174話 大学講師物語  その3

 トラベルジャーナリズム論


 そもそもシラバスというものを知らないのだから、その書き方もわからない。アンケート調査のように記入すべき項目が並んでいるので、「授業目標」や「授業内容」、「テキスト」「参考文献」、「成績評価方法・基準」などを書くことはわかった。難しいことはないのだが、授業計画が困った。毎回きっちりと計画を立てて、その計画通りに授業をやっていくのはプロの教師の仕事で、ちゃらんぽらんな私には難しいし、つまらない。ライブ感がないのだ。1年目の授業で、学生からは質問も意見も出ないことはわかったが、それでも授業を進めているうちに、関連する話をしたくなるということはある。そうなれば、授業計画通りには進まず、予定通りにはならない。きっちりとした計画を立ててしまうと、その計画に縛られて苦しむことになる。だから、きっちり決まった授業計画は立てなかった。
 講師を始めたころは、シラバスは手書きで、郵送だった。だから「授業計画」の欄も、授業の内容をいくつか箇条書きにしておけばよかった。
 しばらくして、シラバスがデジタル入力になったものの、書き方は手書き時代と同じでよかった。ところがすぐに厳しくなった。「1回目は・・・」、「2回目は・・・」と、全14回分の授業内容をきちんと記入していかないと、「記入が不備です。もう一度きちんと書いてください」という文句がでてきて送信できない。しかたなく、一応形式としてはそれらしく書いたが、その年の授業の最初に、「シラバスに書いたようには授業をやらないよ」と宣言した。
 友人の教授によれば、シラバスというのは教師と学生の契約書のようなもので、教師が提示したシラバスを読んで、そういう授業なら受けようと履修登録する。「商品購入と同じことだから、アメリカならシラバスと違うことをやれば訴えられるよ」という。
 「トラベルジャーナリズム論」とはなにか、グーグルに聞いてもわからない。この科目名の授業をやって13年目の現在でも、この語で検索すると立教の、私がやった授業しか出てこない。「トラベル」と「ジャーナリズム論」だから、旅行関係の出版物や放送番組などをあれこれ論じるのだろうか、具体的にはガイドブックや旅行記などに関して論ずればいいのかなどといろいろ考えた。考えたがよくわからないので、「異文化を考える」といったことをテーマにした。ごく簡単に言えば、「世界にはさまざまな文化がある」ということだ。小学生でもその基本はわかるだろうが、言語や音楽や食文化などの具体的な例をいくつか挙げろと言われたら、たいていの学生は口ごもる。台湾やベルギーの言語事情、世界のコメの話、日本の音楽教育の歴史など、どういう話をしても、「世界にはさまざまな文化がある」というテーマに当てはまる。
 私が授業でやろうとしたことは、学生に雑多な情報を振りかけることだった。彼らの頭の中に数多くの索引、あるいは情報の引き出しを数多く作ることだった。だから意識的に雑談をした。雑談の中の情報を、自分の勉強に生かしてほしいと思った。勉強というものは、教師がしゃべったことを暗記することではなく、自分で調べて考えることだから、そのヒントをばらまこうと思ったのだ。そうすれば、アフリカを考えるときに、ヘミングウェイアイザック・ディネーセン(あるいは本名のカレン・ブリクセン)といった西洋人の助けを求めずに、アフリカ人の思考を考えるようになればいいなと思ったのだ。
 授業を始めて数年後、稲垣さんに会ったので、その年の授業内容を説明し、「こういう授業をやっていますが、よろしいんですか?」と聞くと(何を今さらと言われそうだが・・・)、にっこり笑って、「どうぞ、ご自由に」と言ってくださった。これで、好き放題やろうときっぱりと決めた。
 定年が決まった今年の、最後の授業を終えた直後、偶然に裏事情を知った。「トラベルジャーナリズム論」は、前川健一が自由に授業できるように、どういう授業内容でもそれらしくなるようにした科目名なのだと知った。学者ではない私が授業をやるのだから、従来の学問領域で規定できる範囲を超えることは明らかで、大学側はそれを期待してライターに授業を依頼したのだ。だから、狭い範囲に限定する科目名はふさわしくない。そう考えたのだ。