■話したいこと 中
それでは、日本ではどうか。
「授業中に学生が発言しない」というのは、大学レベルの話だけでなく、小学校から続く伝統のようなものらしい。大学で教えたことがある友人たちに聞くと、みな口をそろえて、「発言なし」という。「あんた、どう思う?」と特定の学生に聞けば、「それなりの答えが返ってくることはあるが、指名しないと無言というのが普通だ。ごく一部に、勉強熱心な学生もいて、授業が終わると、「先生・・・」と教壇に近寄って意見や要望を口にすることはある。
いくつかの大学で講師をやった作家は、「授業中発言なしというのは、大学の偏差値とは関係がない」と書いていた。この点も、友人たちの話と私の体験を交えて書けば、こういうことになる。
大学の偏差値とは関係なく、授業中に学生からの発言はない。黙って話を聞いているらしい学生。ノートをとっているらしい学生。カメラを構えて、授業を撮影録音している学生もいる。明らかに授業を無視している学生は、寝ているかスマホをいじっている。「オレが学生の頃は本を読んでいるヤツもいたんだけど、今はいないな」。偏差値が下がると、授業中の飲食、化粧(女子大に多い)、おしゃべりがあり、こうなると、注意される。私が授業をしていて不思議だったのは、教室を出たり入ったりしている学生だった。初めはトイレに行くのかと思ったが、電話かけに行くらしい。
学生が発言しない理由は、いくつある。そもそも勉強をする気がない。勉強したくて大学に来たわけじゃないという理由のほか、勉強をしたい学生でも、「授業中に発言して、注目されるのがいや。目立ちたがり屋と思われるのがいや」という理由があるらしい。つまり、発言しない理由は「英語ができないから」ではないことは明らかだ。
日本では、1回も休まずに授業に出ていれば、出席点で進級可能と判断されることもある。私の授業は出欠をとらなかった。勉強する気のない学生が多いと、ざわついて迷惑だから、200人の履修者を50人出席の授業にしたかった。成績の評価はレポートとした。そのレポートを「不可」とされた学生から苦情が届いた。大学を通してそういう申し立てができるのだ。「不可」が納得いかないという理由が、「1回も欠かさず、すべての授業に出席していたのに・・・」だった。出欠をとっていないことを知らないのだから、授業に出ていなかったことは明らかだ。本当に全授業に出席していたとしても、私の授業に出席点などないのだから、同じことだ。
公務員も、目立たず、日々穏便に過ごせばそこそこの昇進はするという世界だとすれば、会議で積極的に発言などしない。そういう日本人が、どれほど英語の文法を学び、発音の訓練をしても、ゲストハウスの雑談から国際会議まで、「しゃべらない日本人」になる。そう訓練されてきたのだ。その枠を出ている日本人は、「だから、帰国子女って、協調性に欠けるんだよな」とか「自分勝手の目立ちたがり屋だよ、あいつら」などと非難される。私のような旅行者は、「男のくせにおしゃべり、いけ好かないヤツ、反日野郎、在日か?」などという非難を浴びる。日本人以外としゃべっていると、そういう非難を浴びる日本の社会だから、外国語を学ぶ価値は、日本では低い。
国際会議の運営を業務としている人へのインタビューを、ラジオで聞いた。「同業者の間で共通認識となっているのは、会議中、いかにインド人の発言を押さえるかであり、いかにして日本人に積極的に発言させるか、ですな。日本人は会議には出席するが、指名されない限り発言はしないから」。
テレビのニュースで、痛々しいシーンを時々見かける。G7など各国首脳が会議をするときに、記念撮影をする。首脳たちは、おそらくたわいもない冗談などを言いつつ撮影場所に来て、準備が整うまでおしゃべりをしているのだが、日本の首脳は直立不動のまま、ただ押し黙ってシャッターが切られるのをじっと待っている。