1180話 大学講師物語  その9

 せめて英語を

 英語よりも日本語教育に力をいれるべきだと思うが、だからと言って日本人は英語を学ばなくてもいいと言っているのではない。小学校から学ぶ必要がないと言っているのだ。「小さい時から学ぶと、発音がよくなる」などとマヌケなことを言い出す人が決して少なくないが、日本人がアメリカ人のような発音ができることが、けっしてすばらしいことではない。
 日本人全員が小学校から英語を学ぶ必要はない。必要だと思う人が、必要だと思うレベルの教育を受ければいいのだ。英語学校に行かなくても、ラジオやテレビで学べる。今はインターネットでも学べる。日本に来た外国人観光客と話をしてもいい。田舎に住んでいるから英語が学べないということはない。やり方はいくらでもあるのだ。
 大阪の黒門市場や浅草のお土産物屋おばちゃんやおばあちゃんたちは、外国人客相手に結構英語をしゃべって商売をしている。話が通じれば、商売になるのだ。必要になれば、学ぶのだ。英語ができれば、商売につながり、利益になる。だから英語をしゃべり、だんだん上手になっていく。それでいいのだ。必要がなければ、高い授業料を払って英語学校に通っても身につかない。
 授業では、学生たちにこういう話をしたことがある。
 外国に出ると、日本のことを聞かれることが多い。政治や経済の話だったり、日本料理や禅やアニメやマンガの話かもしれない。日本の生活習慣のことかもしれない。あるいは、ゲストハウスなどで、日本人と見れば、クジラ(捕鯨)問題や原爆や環境問題を話題に取り上げられることがある。こういうテーマで議論ができるかどうかは、英語の問題というよりも、むしろ日ごろの学習態度だと思う。旅先でも、授業中と同じように沈黙を貫くのか。
 おそらく、もう100年以上前からだろうが、「外国語なんてできなくても、旅はできる。言葉が通じなくても、心と心は通じるものだ」といった論法があり、今もそんなことを言う人がいる。考えれば、今は昔よりももっと外国語ができなくても旅ができるようになった。移動するだけなら、外国語がほとんどできなくてもいい。
 日本語のガイドブックがある。いたる所に日本人旅行者がいる。インターネットで日本語の旅行情報が簡単に手に入る。スマホの通訳&翻訳アプリを使えば、移動するために必要な情報はかなり手に入る。だからというわけじゃないだろうが、印刷物であれネット上であれ、旅行記には風景や食べ物の写真は出てくるが、旅先での会話やガイドブックには載っていない物事の話は、少ないように思う。日本人旅行者は、日本人旅行者以外と話をしていないのか。
 ここで旅と英語の話をしているのは、日本人すべてに向けたものではない。家族でハワイ旅行をする人に言っているわけではない。観光学部の学生に対して言ったことだが、ほかの学部、ほかの大学の学生にも同じことを言いたい。せめて英語がちょっとできれば、韓国人ともエジプト人ともブラジル人とも話ができる。映画だって英語の字幕が理解の助けになることがある。旅行先の習慣やルールを教えてもらうこともできる。「知りたい」という好奇心があれば、という別の問題もあるのだが・・・。
 せめて、中卒程度の英話で会話ができれば、少しは旅が変わるよ。旅先の会話なら、中学の英文法がわかっていれば、語彙を増やすだけでほとんど用は足りる。旅先でおしゃべりになりましょう。世間話をしましょう。
 そんなことを教室で話した。これが授業の中心ではないが、こういう話をマクラとして、異文化を知るという授業に入った。