2001話 たんなる通過点に過ぎないが その2

 新しもの好きのあるライターは、ブログというものが話題になったとき、すぐさま手をつけたが、数回更新しただけで止まった。「どうしたの?」と聞いたら、「カネにならない原稿を書いてもしょうがないから」と言った。

 私は「カネなんかいらない」と思っているわけではなく、ただ、書きたいことが次々に湧き出してきたから書いてきたというだけのことだ。それは主義とか思想などというものではなく、ただの道楽である。ブログは儲からないとわかった人は、すぐさま「短いの」に移行した。

 アジア雑語林を始めた2002年からは週1回程度の更新だったが、2011年にはあるテーマで何回かにわたって書くようになり、2012年には旅行記を書くことになって、更新回数が増えていった。それ以前にも旅はしていたのに、なぜかそれをブログで書こうという気がなかった。旅行をしても、詳しい記録をノートに書かないし、カメラも持って行かなかった。2013年の台湾旅行も写真はいっさい撮っていない。2014年のイベリア&モロッコ旅行も、写真は撮っていない。旅は100パーセント自分の楽しみにするもので、だから深く調べることもしなかったし、記録しておこうとも思わなかった。旅を楽しんで、いくつかのことが記憶に残ればそれでいいと思っていた。自分の旅行を誰かに証明する必要などない。

 今は旅行を文章にするし写真をちょっと撮るようになったが、それがどういうきっかけだったか覚えていない。おそらく、食べ物の話は文章で書いても食べたことがない人には想像もつかないだろうと思ったのかもしれない。

 旅する目的は、「旅する私」の写真を撮るためでもなく、ブログを書くためでもなく、ただ楽しみのためだけなのだが、ブログで書くようになって、より詳しくより広く調べるようになった。文章にすることで好奇心が刺激されたわけだ。プラハの旅でも、「プラハ 風がハープを奏でるように」という旅行記を書き始めると、どんどん長くなり2018年11月から全79回になった。このブログをもとに『プラハ巡覧記』(産業編集センター、2020)として単行本になったのだが、ブログの原稿量を大幅に削った。旅をして刺激を受けると、書きたいことが次々に出てきて長くなって、単行本1冊分をはるかに超えてしまった。長くなればよりいいと思っているわけではない。読者のことを考えれば簡潔な方がいいのだろうが、書いているうちに、書きたいことが次々に出てきて長くなってしまうのだ。

 スペインの話でも大阪の話でも旅行記を書くようになると、それまで手にすることのなかった本が気になりだし、アマゾンに次々と注文するようになる。知りたいことが次々に出てきて、テレビ番組表もていねいにチェックするし、中古のDVDを買って、ちょっと前のチェコやスペインの映画を見る。プラハが舞台というだけで、韓国ドラマ「プラハの恋人」(2005)のDVDを全巻買った。プラハでロケをした「のだめカンタービレ」も見直した。知りたいことがいくらでもあるのは、幸せなことだ。

 旅は、帰国してからもまだ楽しめるのだ。風景や世界遺産を眺めるだけで楽しめるタチの旅行者ではない私は、旅先のモロモロの事柄を調べて考えるのが楽しいのだ。ある地の旅行記を書き終えると、資料は段ボール箱1個分を超える。かつては、旅して考えて調べて書くという旅行記がいくらでもあったが、今では研究者や評論家の手による旅行記はほとんどなくなり、「行ったぞ! どうだ!!」というだけの行程旅行記が増えているのは、それは読者の好みだからだろう。

 ブログのような長い文章も、もはや時代遅れらしい。旅行人のHPにブログを書いていた人たちのなかで、今でもこまめにブログを書いているのは私ひとりになった。ツイッターとかフェイスブックとかインスタグラムなどの「短いの」が好まれる時代だから、長い文章はもはや読まれない時代だということはわかるが、まあ、私は書きたいことを書いているということだ。

 私のブログの大きな柱は、旅行、言語、出版、トイレ、建築、食文化などだから、ブログの右側にあるブログ内検索で調べれば、いろいろ情報が出てくる。書いた本人も忘れていることがあるから、ブログを備忘録として書いている側面もある。ここに書いておけば、「あの本の話は書いたかな」とか「ローマに関して、何を書いたか」などといったことが発見できる。ある情報の出典を確認することもできる。

 基本的に、書くことが浮かばないということになるまで、偶数日に更新することにしているが、はたしていつまで続くことやら・・・・。