1718話 無理を重ねた『中国料理の世界史』 その1

 外国語の表記

 

 今、『台湾路地裏名建築さんぽ』(鄭開翔)を読んでいて、これがすこぶるおもしろい。ほかにも台湾関連の本を用意しているので、いずれまとめて取り上げることにして、今回は食文化の話を9回ほどする予定だ。

 たったひとりで世界の中国料理史を書こうという無謀な企画に挑み、無残にも惨敗したというのが、慶応大学教授が書いた『中国料理の世界史』(岩間一弘、慶応大学出版会、2021)だ。初版出版後ひと月で増刷されているから売れているらしいし、今売り出し中の若手学者藤原辰史(京都大学准教授)は好意的に紹介しているのだが、「ちゃんと読んだのか」といぶかしく思えるほど、相当にひどい本なのだ。藤原と言えば、『ウンコはどこから来て、どこに行くのか』も、私の判断とは大きく違い提灯書評をしていた。これが本心なのか、それとも世間のしがらみに逆らえない方なのかわからないが、残念なことだ。

 この本全体の問題点を具体的に指摘していくと、原文を引用して指摘するということになるから、50回連載くらいの長さになりそうだ。だから、タイ編の部分だけ扱う予定だが、この「その1」では、全体にかかわることをひとつだけ指摘しておく。

 世界の食文化の中で中国料理がどういう歴史を歩んできたのかというテーマを、ナショナリズムから眺めてみるというのがこの本のテーマだ。世界を相手にすると、さまざまな言語がでてきて苦労することになる。タイ語に関してはあとで書くので、ここではマレー・インドネシア語について書く。マレー語、インドネシア語はそのままローマ字読みをしてかなり通じるのだが、ほぼたったひとつの難点と言えるのが、”e”だ。この母音の発音は、”e”だけでなく”u”になることもある。インドネシア民族音楽ガムランgamelanと書くので、その昔は「ガメラン」と表記されていたことがある。あいさつの言葉は、Selamat petang(こんにちは)は「セラマット・ペタン」ではなく、「スラマット・プタン」だ。だから、女性服kebayaを「ケバヤ」(p217)と書いているが、「クバヤ」だ。「インディカ米をココナッツミルクで炊いた『ナシレマッ(nasi lemak)』」(P231)は、ナシ・ルマックだろう。

 言葉に関するもうひとつの問題点は、語尾の子音をどうするかということだ。著者は「ナシレマッ」(nasi lemak)のように、語尾の子音を落として表記することが多く、それはそれでひとつの見識なのだが、残念ながらバラバラなのだ。ketupatは「クトゥパ」、arakは「アラック」、rojakは「ロジャック」、フィリピン料理のpancitは「パンシット」といった具合だ。おそらく、参考にした資料の日本語表記を何も考えずにそのまま使ったのではないだろうか。

 外国語のカタカナ表記の誤りや不統一を非難しているのではなく、私もさんざん苦労しているので、「お気の毒さま」という気持ちなのだ。世界を相手にするということは、さまざまな言語の日本語表記に挑むことでもある。自分の知らない世界に手を出さなければ、こういう苦労はないのにと同情するのだが、やはりバラバラの表記では見苦しい。言語の問題ではなく、内容に関する問題点はまた別で、次回からタイ編について深く触れる。