1973話 履物を脱いで その1(全4回)

 バルト三国を実際に旅したというのに、3か国の位置関係がわからなくなることがあった。リトアニアエストニアの国名が似ているからだ。バルト三国の情報をネットで探して読んでいたら、位置関係を頭に入れるには、「フェラーリ」と覚えましょうという解説かあった。情報源を忘れてしまったが、それがすでに知れ渡った情報なのか、ネットにそう書いた人のオリジナルかどうかはわからない。

 フェラーリというのは、フフィンランドエストニアラトビアリトアニアというわけで、北から南への位置がわかる。ついでにスカンジナビアも覚えるなら、意味はないが、ノースフェラーリと覚えると、西からノルウェース:スウェーデンフィンランド・・・と覚えられる。

 バルト三国はそれぞれに興味深い面を見せてくれて、この「アジア雑語林」のなかで、「スケッチ バルト三国ポーランド」という連載を書いた。思い出はいくらでもあるが、エストニア首都タリンのホテルが特に印象に残っている。

 タリンのホテル探しはけっこう手間取り、街を2時間以上歩いた。単に「満室」という場合もあるが、看板は掲げていてもどうやら閉鎖されている「元ホテル」もあった。何軒ものホテルに行き、薄々気がついていたのだが、やっと空きベッドのあるホステルを見つけて、「やはりそうか」とわかった。そのときの話は、ここで書いた。

 つまり、日本のように、客は入り口で靴を脱いで建物の中に進むのだ。

 日本以外で、「靴を脱ぐ」という規則になっている宿の体験は、韓国と台湾だ。韓国では、客は靴を脱ぐルールの宿は地方ではいまでも少なくないと、韓国の映画やドラマでわかる。宿の構造が、日本の旅館とほとんど同じだが、畳敷きではなく、オンドル設備の床だった。

 私が初めて台湾に行った1970年代だと、地方都市はもちろん台北でも日本時代にできた旅館がいくらでも残っていた。畳敷きの部屋はさすがに少なくなっていて、板張りに改装された部屋も見た。もちろん、履き物を脱いであがる。韓国の場合は、日常の生活が、靴を脱いで家に入る習慣があるから、伝統的な韓国住宅を使った宿なら、当然靴を脱いで家に入る。

 台湾の場合は、家では靴を脱いで過ごすのいうのは植民地時代の在住日本人の習慣で、台湾人は靴を履いたまま過ごす生活をしていた。日本人経営の旅館は、日本式のままだった。敗戦後、日本人が引き上げると、空き家を国民党軍兵士が占有した。畳をはがし、板張りにした。1961年の台北の住宅がよくわかるのが、エドワード・ヤンの映画「牯嶺街少年殺人事件」(クーリンチェ少年殺人事件)だ。

 東南アジアでは、靴を脱いで家に入る人が多いのに、宿はたいてい土足のままなのは、ホテル経営者が中国人が多いからだろう。一部に、靴を脱ぐシステムを採用している宿もあるが、それは西洋人客にエキゾチシズムを味合わせる演出もあるだろう。アユタヤなど地方都市の木造住宅を宿に改装したところだと、履き物を脱いで部屋に入るシステムになっているところもある。

 自国民にも同じようにエキゾチシズムを味合わせる演出をしているのが、台湾の日本式温泉旅館だ。なにしろ台湾に加賀屋があるのだから。タイなどには、外国人団体旅行客に、民族舞踊つきで、いかにもな「民族料理」を出す店では、板張りの床に客を座らせるという演出をする店もあるが、床に座れない西洋人客のために、堀こたつ+座椅子の客席を設けたレストランもある。これは京都にもあるが、膝の悪い日本人用に畳の部屋にテーブルと椅子を用意した料理屋も増えている。寺院もそうだ。つまり、靴は脱ぐが、椅子に座るというシステムだ。