1975話 履き物を脱いで その3

 集合住宅であれ一戸建てであれ、家に入るときに履き物を脱ぐかどうかという文化の違いは、床での生活の違いだ。床が寝床であり、食卓でもあるという生活をする人たちは、履き物を脱いで家に入る。中国人は古くから椅子とベッドの生活をしているから、家に入るときにいちいち履き物を脱いだりはしない。ただし、中国の宮廷のような場所では、室内履きを利用していたようで、それが中東方面に伝わり、スリッパの起源になったようだ。

 しかし、すでに見てきたように、ヨーロッパの東や北や南東部などのように、椅子とベッドの生活でありながら、家の入口で履き物を脱ぐ文化の地域がある。これをどう考えるかだ。

 外で履いていた履き物を脱いで家に入る理由は、部屋が汚れるのを嫌うからでもある。椅子とベッドの生活をしていても、ドロやほこりを室内に持ち込むのを嫌う人たちは、家の入口で履き物を脱ぐことがある。フィンランドエストニアの場合がそうだ。とくに、絨毯を敷いている家ではそうだ。地中海地域では、雪が降らず、雨が少ない地域なら、履き物がドロドロになる心配はあまりない。

 雪深い地域だと、雪でぬれた靴を室内では履いていたくないという気持ちがあるだろうし、濡れた靴を乾かしたいという感情もあるだろう。室内で足元を温めたいから、暖かい室内靴を履く。

 バルト三国それぞれの野外住宅博物館に行った。農家の作りは日本と同じだとわかる。入口を入ると土間で、農具が置いてあったり、焚火のコーナーやかまどがしつらえてある。サウナがある場合もある。土間の奥は石板か板張りになっていて、居間や寝室になっている。そうした例は、アジア雑語林の「野外博物館 その2」以降数回にわたって紹介している。

 履き物を脱いで家に入るという文化は、日本以外にもいくらでもあるようだが、履き物を脱ぐための特定の場所、つまり玄関の存在は日本独特かもしれない。韓国ドラマや映画を見ていると、韓国にも玄関があることがわかる。韓国の居住学を徹底的に調べた民博の出版物『2002年 ソウルスタイル』(朝倉敏夫・佐藤浩司編著、国立民族学博物館、財団法人千里文化財団、2002)に、「玄関」という項がある。

 「アパートのヒョンガン(玄関)は日本の住宅公団が韓国にもたらしたもの。靴脱ぎ場で接客するような習慣はもとよりない」という説明とともに、日本のアパートの玄関と変わらないソウルのアパートの玄関写真が載っている。

 では、日本の家には昔から玄関があったかというと、条件があった。山形県米沢市へ下級武士の住宅を見に行ったことがある。それでわかったのは、農家と変わらない外見の家でも、武士の家には門がある。門扉などなく、丸太が二本立っているだけでも、門である。門を構えることができるのが武士だけだ。そして、玄関があるのも武士の家だ。江戸の住宅事情の資料はコレこちらは金沢の足軽の住まい。玄関を使うのは、その家の主と客人だけで、通常は土間を出入口にしていた。朝鮮では、日本の縁側にあたる場所が出入口だった。

 日本と韓国以外で「玄関」を体験した例は1度ある。バンコクの高層マンションに、アメリカ人駐在員夫婦を訪ねたときで、そのマンションに日本のものとまったく同じ玄関があった。アメリカ人夫婦も我々客も、タイの習慣に従って、履き物を脱いで部屋に入った。施主がたとえ日系企業の不動産会社であったとしても、日本と同じ玄関を作る意図がわからない。