1974話 履物を脱いで その2

 タイの習慣に少しは慣れていると思い込んでいたころ、「これはなんだ!」と驚いた光景があった。街散歩をしていたら、歩道の脇に脱ぎ散らしたサンダルが何足もある。ガラス張りの店の前で、中を見ると美容院だ。美容院でも、店によっては履物をはいたまま店に入るシステムのところもあるが、ほかの商売で「履き物を脱ぐ」システムの店を知らない。商売というと語弊があるだろうが、寺院やモスクなど宗教施設は履き物を脱ぐのが普通だろう。

 このように、「履き物を脱ぐ」ことに関して、アジアの例はいくつも知っていた。テレビなどの情報でオーストラリアやハワイの例も知っていたが、ヨーロッパの例を実体験としては知らなかった。だから、エストニアの首都タリンで驚いたのだ。宿のスタッフに話を聞くと、履き物を脱いで家に入るのはエストニアでは普通のことで、「多分、フィンランドでも同じだったと思うけど・・・」という。ネットで調べてみると、どうもそうらしいというヒントはつかんだが、「確証を得た」というまでは至らなかった。

 そこで、買ったのが、フィンランド在住日本人が書いた『フィンランドは今日も平常運転』(芹澤桂、大和書房、2022)だ。著者によれば、「短パンにサンダルに短い靴下を合わせている男性がいたらほぼフィンランド人だと断定していい」と書いている。その発言は眉にツバをつけておくとして、素足にサンダルではなく、靴下を履いている理由を次に文章で説明している。

 「フィンランドでは家の中で靴を脱ぐ。靴を脱ぐ文化は日本だけではないのである。」

 「玄関の小上がりはないけれど靴を脱いで家の中で過ごすので、たとえ足に汗をかいていてもそのまま靴下を履いておけば床を汚すことなく安心、という配慮らしい。」

 日本のように、屋内でスリッパを履く習慣がないから、靴下がスリッパ替わりだという。だから、汗だらけの足で床を汚さないようにいつも靴下をはいているのだというのが著者の主張だ。フェルトの室内靴は売っているが、普通は靴下だけだという。夏は薄い靴下、冬は毛糸の厚い靴下で過ごすのだという。

 「足元の話が出たのでついでにもうひとつ。室内用スリッパの入手しづらさにはなかなか苦労した」と著者は書いているが、日本人が考えている「スリッパ」なるものは、主に日本国内で使っている履き物だといういうことを知らないらしい。英語のslippersは、着脱しやすい履き物という意味だが、ブーツのようなものもスリッパに含まれることがあり、室内履きと理解した方がいい。参考までに、アメリカのamazon”slipper”で検索した結果を紹介しておく。日本人が考えるスリッパとの違いが判るはずだ。ちなみに、英語が得意ではない私には理解できないのだが、スリッパは2足ひと組だから、slippersと複数で表記されるはずだ。Shoes、bootsも複数なのに、なぜかスリッパは単数表記なのだ。英語版ウィキペディアでも、見出し語は”slipper”と単数なのだ。このあたりの事情をご存じの方はご教授ください。

 それはさておき、ウィキペディアには「靴を脱ぐ習慣」という項目がある。アジア以外の地域に関して、次のような記述がある。

・東ヨーロッパでは、全てのスラヴ人(ロシア、ウクライナポーランドなど)、ハンガリールーマニアモルドバなど、ほとんどの人々が家で靴を脱ぐ。

・南東ヨーロッパ(旧ユーゴスラビアアルバニアブルガリアギリシャ)では伝統的に家で靴を脱いでスリッパを履き、来客も同様に靴を脱ぐことが望まれる。

・カナダでは個人の住宅に入る際に靴を脱ぐことが一般的なルールであるが、例外もある。

 同じ項目の英語版を知らべても、カナダでは靴を脱いで家に入るのが普通だとする記述がみられるが、それがどの程度のものか、私はまったく知らない。カナダ人でも、住んでいる地域やそれぞれの家庭環境によって違いがあるだろう。

 さらにネット情報を探ると、「ロシアでも、家では靴は脱ぐ」という記述も見つかるが、どれだけ信ぴょう性があるのかは、わからない。というわけで、ネット情報をそのまま信じることはできそうにない。