1378話 最近読んだ本の話 その11

 日本の近代住宅

 

 本を買っても、本棚にはその本を入れる余裕がとっくにないので、いっそ建築関連の本をまとめて整理してしまおうかと思っていたのに、新聞の書籍広告で『近代建築そもそも講義』(藤森照信+大和ハウス工業総合技術研究所、新潮新書、2019)を見たら、すぐさま買いたくなった。藤森氏は東大を退職後、怒涛のように出版しているのだが、建築の本は高いから、なかなか買えない。買えないが、興味はある。神保町に行くと、ついつい建築の専門書店南洋堂書店に足を踏み入れる。ここは好きな本屋のひとつだ。

 書棚の大きな本を手に取る。『NA建築家シリーズ04 藤森照信』(日経アーキテクチャー編、日経BP、2011)のページをめくったら、小田和正との対談が載っていた。非常に興味はあるが、10分で読み終える対談に2000円(定価は3300円)を払う気はない。レジ前で立ち読みする図々しさはない。

 藤森と小田は、ともに東北大学で建築を学んだいわば同級生で、大学卒業後、藤森は東大大学院に進み、小田は早稲田の大学院に進み、引き続き建築を学んだ。

 『近代建築そもそも講義』は新書だから、すぐに買った。

 内容にざっと目を通すと、すでに知っていることが多そうだが、読んだことのほとんどを覚えていない昨今、既読かどうかは大した問題ではない。

 日本の住宅は、明治を迎えてさまざまな問題を解決しようとした。防火と上下水道は、もちろん江戸時代からの課題でもある。上下水道の整備はコレラなど疫病対策の意味も強い。そして、「もっと光を!」という欲求があった。このブログでバルト三国の建築に触れたとき、日本の家は煙対策をほとんどしなかったという話を書いた。ただ、京大阪の町家では、細長い家の中央に台所があって、その上が吹き抜けになり、煙り出しがついていると書いた。

http://www5d.biglobe.ne.jp/~tentyou8/page003.html

 小さな屋根がついた煙り出しが、ガラスの時代が始まると、天窓になる。ガラスは非常に高価だった。板ガラスは風船状に膨らませたガラスを切って板に延ばすのだが、高価だからせいぜい一家に1枚しか買えない。そこで、屋根につけて、天窓にしたようだ。ガラスが安くなっていくと、障子に使う。ガラス戸にするほどの財力がないと、障子の一部にガラスを使う。猫間障子であり雪見障子である。こういう障子が、ガラスの節約から生まれたものだとは知らなかった。

https://w-wallet.com/syouji10.html

https://w-wallet.com/syouji9.html

 私は衣食住に興味があり、とりわけその変容に興味がある。日本では、衣はほぼ完全に西洋化された。食は、一時、若者の日本料理離れが問題視されたが、コンビニのおにぎりと回転ずしのおかげで、コメの消費はまだ息を続けている。コメと醤油なしで外国生活が送れる日本人はそう多くない。

 住はどうか。明治に洋館ができたが、あれは仕事場であり応接室であって、住人の生活は別棟の日本家屋で暮らしていた。洋館を建てたからと言って、生活が西洋化したわけではない。住の西洋化で最大の問題となったのは、靴を脱いで家に入るかどうかということで、和洋の折衷案として生まれたのがスリッパだ。洋館といえども、日本では土足のまま入ることに躊躇があったのだ。この問題に関しては、「突然現れたスリッパ問題」という章で解説しているが、この問題に関しては、私もこのアジア雑語林でしばしば書いてきたが、実に興味深いテーマだ。

 今の日本では、日本間のない家はそれほど珍しくない。畳の上で寝たことがない日本人だっている。浴槽を使わずシャワーだけという人もいる。しかし、靴を履いたまま家に入り、靴のまま生活をしている日本人は極めて少ないと思う。そして、世界では、靴を脱いで家に入る人が増えているという話は、このアジア雑語林ですでに書いた。

https://maekawa-kenichi.hatenablog.com/entry/2019/08/22/095941

 私は建築学よりも、居住学や文化人類学の方により興味がある。建築家の芸術表現なんざ、どーでもいいのだ。