1958話 文章の臨場感について

 

 フィンランドの生活記『フィンランドは今日も平常運転』(芹澤桂、大和書房、2022)を読んだいきさつは別の機会に書くことにして、ここでは別の話をする。この本を読んでいて、フィンランドの首都ヘルシンキで暮らす著者の日常生活を描いているのに、臨場感がないことに気がついた。著者は文章の素人ではなく、すでに何冊も本を書いているから、文章力の問題ではない。私が感じたのは、「そうだよなあ、住んでいたら、臨場感なんてない文章になるんだよなあ」ということだ。

 例えば、小説家がヘルシンキを舞台にミステリーを書くとすれば、ガイドブックや地図やネット情報などをもとに、具体的な通りの名やビルの名やその姿や、主人公が住む町のスーパーマーケットの名前などをできるだけ詳しく細かく書いていくことだろうが、エッセイでは自分が住んでいる街、いつもの街のことだと、とくに意識しない限り細部は書かないことがある。

 私がそのことに気がついたのはだいぶ前で、バンコクのことをいろいろ書いてきたが、バンコクそのものの細部を書く『バンコクの好奇心』を例外として、街の詳しい描写、小説家がやるような街や人の描写はあまりしなかった。ただ1度だけ、『タイ・ベトナム枝葉末節旅行』(めこん)に、バンコクの散歩コースを落語「黄金餅」のように詳しく書いたことがあるが、その通りの名ですぐに散歩コースを思い浮かべられる人は、日ごろ仕事などでよく移動している人だけだ。

 今思い出したことを、忘れないうちに書いておく。バンコクを舞台にタイ人が書いた小説を読んだ。ミステリーだが、タイで日本語訳が出たのだ。主人公の逃走ルートが書いてあるのだが、まあ、でたらめなんですな。東京で言えば、「国道246号を右折して昭和通りに入り、新宿大ガードが見えてくると・・・」といった文章で、「お前、タイ人でも田舎者だな」と言ってやりたくなった。

 話を戻す。なぜ街の臨場感の話を思い出したかというと、前回『大阪』の本の話をしたからだ。柴崎氏は大阪大正区で育ったというので、なすびのような形の大正区で、ヘタの部分にJR大正駅があるといった描写は、よそ者だが大正区散歩をたっぷりやった私にはわかりやすい。地図を見ながら西成から歩いたからよくわかる。著者は自転車で難波はすぐ近くだという。その位置関係も、よくわかる。その程度の臨場感はあるが、ミステリー作家が「現場」を読者の頭に描けるような描写はない。それが悪いというのではなく、それが普通だと思うのだが、よそ者の読者が『大阪』というタイトルの本に期待したのは、「そうだよなあ」という部分、それこそ落語「黄金餅」を聞いていて、「下谷の山崎町を出まして、あれから上野の山下に出て、三枚橋から上野広小路に・・・」というように、現代の人でもある程度その景色が浮かぶように大正区を描写してくれたら、よそ者の読者はうれしいのだがなと思った。

 高校生時代に難波や心斎橋方面に出かけた話は出てくるから、臨場感がまったくないわけじゃない。そのことを思いだし、評価の「まあまあプラス」を1段階上げておこうと思った。

 私自身に関して言えば、腕のいい小説家のような街や国の空気を描写する文章力がないから、街の細部を調べて書くというスタイルを選んだ。この臨場感というもの、あるいは文学的な味わいというものが、じつは旅行作家と呼ばれる人に欠けているのではないか。堂々と「作家」を名乗るのにふさわしい文章力がない者が、「旅行作家」あるいは「旅行ライター」を名乗っているのではないかという気がする。だから、私は「ライター」と名乗っている。

 考えてみれば、街の描写などほとんどしたことがなかったが、思い出した。1度だけ、徹底的にやったことがあった。上に書名を挙げた『タイ・ベトナム枝葉末節旅行』で、「サイゴンは便器だ」という話を書いた。路上生活者が多く、路地が糞便臭いのだ。そういう描写は、した。