1959話 山下惣一を読む 上

 

 「農民作家」と呼ばれた山下惣一さんが亡くなった。まずは、「農民作家」と「 」をつけて書いた理由から話を始めよう。

 百姓は誇りであると思っている人たちが集まり、「全国百姓座談会」というものを開催した。もちろん、山下さんも呼びかけ人のひとりだ。この会場から「百姓は差別語だから使わないほうがいいのではないか」という声があがった。すると、「百姓が自分のことを百姓と呼んで何が悪い」と言い返した人がいた。「百姓」は恥ずかしいから、「農業者」とか「担い手」などと言い換えずに、「百姓」がいいと、山下さんは考える。百姓は誇りある仕事だと思っているのだ。

 歴史学者である網野善彦が書いた文章だと思う。出典を探すのが面倒だから、記憶で書く。歴史エッセイのなかで、鎌倉だったか平安だったかの時代の百姓について書いたら、編集部が勝手に「農民」と書き換えてしまったというエピソードを書いていた。

 百姓というのは、いくつもの仕事をこなす人のことだ。畑や田んぼで働くと同時に、山に行き山仕事、山菜をとり、木を切って炭焼きをする。川や池や海で漁をする。竹細工をすれば、糸や布を作る。農閑期に芸人にもなる。大工も左官もする。杜氏もする。あらゆる仕事をするから「百姓」なのだ。だから、百姓を機械的に「農民」(農作業をする人)と置き換えてはいけないのだと書いていた。

 大工であることが恥ずかしいと思っている人は、自分の職業を「建築関係」などという。この「~関係」というのは、自分の仕事を明らかにしたくない人が使う用語だ。山下さんは、自分が百姓であることに誇りを持っていた。しかし、百姓が嫌で、少年時代に家出をしたことが2度ある。

 自分のそういう歴史を書いたのが、『山下惣一聞き書き 振り返れば未来』(山下惣一著、佐藤弘聞き書き、不知火書房、2022)である。本来は、聞き書きで1冊作る予定だったが、山下さんの体調悪化により、過去の著作からの要約も加えて本にまとめたといういきさつがある。だから、すでに読んだ話も出てくるが、それはそれとして、いままでいろいろ教えてくれた山下さんの考えや感情をまとめて復習したいと思う。

 山下さんのいらだちは、農業を知らない都会者がほざく暴論だった。1980年代の日本で、農業に対して誰がどんなことを言ったかという記録がある。

 「自由化でつぶれる農業なら、つぶれてもいい」(ダイエー中内功

 「農業は東南アジアに移せ。農民は遊ばせておいてもいい。工業の生産性は農業の1500倍である」(ソニー井深大

 「大都市近郊の100キロ圏内の農業をやめさせれば、住宅用地の値段が5分の1くらいになる」(マッキンゼー大前研一

 「農業補助金をゼロにすると、サラリーマンの税金が半分で済む」、「農民千人で、トヨタ自動車の社員の一人分の納税額でしかない」(評論家、竹村健一

 「コメの自由化で、サラリーマンの税金をゼロにしよう」(産経新聞主幹、鹿内信隆

 「農業者が、市場開放問題で農業の立場だけに立ち、あまり意地を張ると天罰が下る」(前農水大臣、渡辺美智雄

 この時代、「農業は、農民は補助金で甘やかされている」という主張が強くなっていた。山下さんは、こう反論する。それでは、甘やかされている農業から、重税だという産業分野に移っていく現実をどう思うのか。農業をやめる人が後を絶たないのは、なぜなのか考えてみろ、と。