741話 机に積んだままの本の話をちょっと その7


 砂糖


 雑誌や新聞の書評欄の執筆は、自分にはできないと思う。無理すれば、短期間ならなんとかなるかもしれないが、やりたい仕事ではない。基本的に新刊の紹介や書評をやるのだが、私が本を選ぶ基準は新刊であるかどうかではなく、その時に読みたい本ということでしかない。読みたいと思えば、100年前に出版された本でも、たった今出版された本でもいい。「その時に読みたい」というのが曲者で、読みたいと思って買った本なのだが、机や床に積んでおくうちに時間がたち、読む気を逸してしまうということがある。例えば、半年前にはスペインやモロッコの本を片っ端から買い、次々と読んでいったが、今はもう読む気がしない。だから、もし積んである本の中から未読のスペイン関連本が見つかっても、読む気を失い、そのまま山に戻しておくだろう。新刊も、そうやって古漬けになっていくことがある。だから、新刊を常に追って買い集めることはしないのだ。読みたい時に買えばいい。その時にはもう買えないのならば、諦めればいい。
というわけで、次も新刊ではない。
 図書館の出口に。「ご自由にお持ちください」のコーナーがあって、棚いっぱいの本の中から『糖業年鑑 1994~95』(貿易日日通信社、1994)をもらってきた。発売時の定価は7000円だが、ページのほとんどは糖業関連企業の名簿だから、ほとんど広告で成り立っていると言っていいのに、7000円だ。義理で買わされるような本か。
 ざっと目を通して、意外な事実がわかった。
 砂糖の原料は大きく分けて、サトウキビとテンサイ(サトウダイコン)なのだが、1993年の作付け面積を比較すると、サトウキビが2万7000haなのに対して、テンサイは7万haと、テンサイの方がはるかに広い。「砂糖といえば、サトウキビ」というイメージが強いのだが、日本ではテンサイが主だとわかった。現在はどうなっているのかといえば、サトウキビが2万2000haであるのに対して、テンサイは5万8200haと、作付け面積では2倍だが、ウィキペディアによれば日本で生産される砂糖の75%はテンサイを原料としたものらしいのだが、テンサイを砂糖にする加工費用は高く、効率は悪いらしい。ということは、ウィキペディアの3対1の比率はどうなんだろうかという疑問はある。そこで、調べてみた。少々古い資料だが、2009年の農林省地域作物課の統計では、砂糖の生産量やはりサトウキビが1に対して、テンサイは3くらいの比率になる。テンサイの砂糖は3倍多いということだ。ただし、輸入も多いので、生産量の比率がそのまま消費量の比率にはならない。ちなみに、内外価格差は、テンサイの糖は1.8倍、サトウキビの糖は4.8倍だ。もちろん、国産の糖が高い。
 というわけで、もう30年以上前に読んだ『砂糖』(平沢正夫、平凡社カラー新書、1980)や、『甘さと権力』(シドニー・W・ミンツ、川北稔訳、平凡社、1988)や『砂糖の世界史』(川北稔、岩波ジュニア新書、1996)などを棚から取り出してざっとチェックしたが、砂糖を西洋人の眼でしか見ていないし、製糖業が念頭にあるので、サトウヤシの話はあまり出てこない。
 文章を書くことを生業としていない人の本は、自費出版でもなければほとんどの場合、本人が書いてない。第三者が書いた本でありながら、内容的にちゃんとしていると判断できる基準は、書いた人の名前がどこかに書いてあるかどうかだ。例えば、三木のり平の『のり平のパーッといきましょう』(小学館、1999)は、「聞き書き 小田豊二」と表紙にはっきり明記している。だから、すぐれた本に仕上がっている。こういう本は「ゴーストライターが書いた」ということにはならないが、本のどこかに「製作協力」とか「構成」として名前が書いてある場合は、その人が書いたという表明である。そういう表示もない本もいくらでもあり、タレントなど文章を書いていない人の名前が奥付に載っている本が、ゴーストライターが書いた本だと言える。ゴーストライターの全貌を知りたくて、『ゴーストライター論』(神山典士、平凡社新書、2015)を買ったのだが、ゴーストライターもやっている著者の弁護論を展開しているだけで、その全貌は明らかにしていない。内容に即してタイトルを変えれば、『俺はゴーストライターですが、それで、なにか?』という本だ。残念。
 ゴーストライターで思い出したのだが、オスマン・サンコンが書いたということになっている『大地の教え』(講談社、1992)は、詳細な脚注がついていて、ライターか編集者がアフリカ研究者でもあるかもしれないと思わせる出来上がりだったので、はっきりと覚えている。アフリカ人の本ということでは、床に積んである本のなかに、『ゾマホンのほん』(ゾマホン・ルフィン河出書房新社、1999)があるのを見つけた。「取材・構成」者と、「編集協力」者の名前が明記されているが、あの人の話を解読するのは大変だ。私にできそうもない。喜納昌吉と並んでゾマホンの話はわかりにくいから、インタビューをして文章にする苦労は想像できる。