578話 排泄文化論序章朝鮮編  その7 

 『田舎暮らしの韓国人』

 韓国人の思い出話にも、便所と灰の話があった。現在は日本に住んでいるちょん・ひょんしる氏は、1961年に仁川市で生まれ、10代は祖父母が暮らす全羅北道の農村で過ごした。1970年代の農村の家の便所を、『田舎暮らしの韓国人』(ちょん・ひょんしる、寿郎社、2003)で、次のように書いている。祖父母の家は、謎だらけだったという。
 「極めつけは、庭の片隅にある六畳ほどの広い便所だ。中には、大きい石が二つ並んでいる。そこに片足ずつ置いて、かがんで用を済ます。かがむと前方に木の棒が一本と小さめに切った新聞紙が紐に通されている。後方には糞の山があった。
 でも、その糞の山が臭わない。不思議!
 『この灰を糞にかぶせるからだよ』と祖母は言いながら、毎朝、オンドルの焚き口から灰を集めて便所に運ぶ。だから、松葉を燃やしているのだ。
しかし、さらなる謎は、ゴルフのパターのような形の木の棒だ。祖母が実演してくれた。その棒の先で、糞の上に必要なだけ灰をかぶせる。それから、後方の糞の山まで、まるでゴルフのボールのように糞を投げ飛ばしたのだ。柔らかい糞でも灰を充分に被せることで固まりができるから面白い。とにかく、これに馴れるまでが大変だった。
 村の人々は、松葉を集めに近くの山に出かける。敷き布団を三つ折りに畳んだくらいの大きさの松葉を頭に載せて運ぶ。小さな子どももいっしょに運んでいた。今では考えられないことだ」
 この解説を読むと、『アジア厠考』に書いてある山間部の便所と同じだとわかる。便槽のない便所だ。山間部では、総督府の影響を受けることなく、王朝時代のままに、便槽のない便所を使っていたと考えればわかりやすいが、はたしてそういう単純な理解でいいのか、私にはまだわからない。
 建築学の分野で何か資料はないかと、『韓国の民家』(張保雄著、佐々木史郎訳、古今書房、1989)に当たってみたのだが、韓国全土の民家を調査していながら、理由は不明だが、便所に関する記述がほとんどない。唯一の例外が、済州島のブタ便所について書いた部分だ。
 「トンシは便所であり、豚舎の一部に付随して設けられているのが一般的な形態である。トンシで足をのせる石盤の高さは58cmで、その下まで豚がきて人糞を処理する」
ブタ便所は済州島が有名だが、韓国南部や現在の北朝鮮最北部でも見られるそうだ。
『韓国現代居住学』(ハウジング・スタディ・グループ、建築知識、1990)は、韓国関連書の、間違いなく名著だと思うのだが、この本でもなぜか便所はほとんど無視されている。農村の古い木造住宅がコンクリートの新しい家に変わる過程で、当然ながら便所も大きく変化したわけで、そういう事情を知りたかったのだが、ほとんど触れていない。調査に同行した韓国人研究者が便所などを「恥部」だと思い、調査を嫌がったのだろうか。ただし、この本でも済州島のブタ便所に関しては、現在では実用として使っているブタ便所はないという短い記述があるだけだ。
 1970年代の韓国の農村を熱心に調査した文化人類学者なら、伝統的便所が近代的なものに変わっていくようすを描いているかもしれないと、『韓国農村事情』(嶋陸奥彦、PHP新書、1985)を再読したが、便所の話はまったく出てこなかった。